オヤジ徒然 2022年 |
■ 2024 2023 2022 2021 2020 2019 「オヤジ タッチパネルに腹が立つ」 2022年12月18日 最近、買い物をすると店員さんが目の前にいるのに自分でレジ操作してお金を払う。小銭が出てこず後ろの視線が気になる。まるでテレビのCMそのままである。 妻と食事に行った。誰もでてこない。タッチパネルで申し込み席番がでてきた。「いらっしゃいませ」「何名様ですか」の言葉が無い。席に着いた。またタッチパネルだ。 ビール頼もうとするとこれがまた面倒「歳は幾つだ車は運転しないか、つまみは頼むか。」あーーこんちきしょと思いながらビールを待つ。出てこない。最後の「確認」のボタンを押していないのである。 またまたチクショウと思いながらボタンを押す。丸っこいロボットが持ってきた。店に入ってまだ会話していない。いまはまだ何とか対応できるがあと10年したらこれは無理だ腹立って店出てしまうだろう。 ※おばゃちゃん!餃子とビールね!ライスつけてね。 これで料理が美味しくなるというものだ。私もネットショップやっていて反省しなければいけないこと沢山ありますが。世の中どんどん無機質になってきました。 浜田屋の店先の狸(オヤジ)は怖い顔しておりますが、いいオヤジです。どんどん声掛けお問い合わせください。速度が遅いのがたまにきずでございます。 「パンツにとりついた悪霊」 2022年11月29日 60年悩み続けていることがある。パンツを確認しないで履くと必ず前後ろが逆なのはなぜか。セーターもなぜ後ろ前に着てしまうのか。ゴミ箱にゴミを投げ入れると必ず外れるのはなぜか。 めったにしない違反した時、必ずパトカーがいるのはなぜか。「絶対に不思議である」あなたは確立内なのだと言われるだろうが。やはりパンツの後ろ前、違反時のパトカーなどなど絶対に確立以上になっていると思う。 「七不思議」「都市伝説」といろいろあるが。俺にとってはパンツの後ろ前ほど不思議なことはない。貴方は反対に履いたのに気付かずトイレでチ※チ※の出口がないと焦ったことがあるか。 ゴミ箱に投げ「入った」と確信したのに直前にストンと外れたり。寝る前に消したはずの電気がついていたり。こんな恐ろしい目にあったことがあるか。これら絶対に見えない世界の仕業なのだと思っている。 自分の力ではどうしようもないことは実際にあるのである。『悪霊退散』こんなくだらないことをここまで読んでいただいたこと。これも奇跡か七不思議のどちらかです。世の中楽しさが無くなってきましたね、足元見ずに上を向いて歩きましょう。 ありがとうございます。 「日本とアメリカ」 2022年11月14日 テレビをつければ「アメリカ中間選挙結果」ばかり。何故と思うのは無知だからなのか。アメリカの選挙結果がそんなに日本を左右するのか。風がアメリカから吹けば日本では大風が吹き、アメリカの一言で円相場の乱高下、右を向けと言われれば右を向き、左を向けと言われれば左を向く。 個人もお国も一人では生きていけないのは重々知っているが日本はそんなに自立力が無いのかと感じている。「だいじょうぶ」という言葉がある。いま間違った使われ方をしている。 Aさん「今日飲みに行こうか?」Bくん「だいじょうぶです」これは飲みに行くのか行かないのか? Bくんは断ったつもりだがAさんはOKと受け取った。正式には「だいじょうぶ」は肯定で使う言葉だがいま「結構です」の代わりに使われることがある。 個人ばかりではなく外交や経済での他国との関係にも日本は「だいじようぶ」を使ってはいないだろうか。何事にもはっきりものを言わない日本の習慣がだんだん諸外国との距離を置く結果になっているような気がします。 志村けんさんの「だいじょうぶだぁ」は本当に肯定語だったのか、もしかしたら否定語だったのかもしれないと、腕組みしてしまった。 「変なおじさん浜田屋店主」 「オヤジ、証拠隠滅する」 2022年11月3日 亡き父から店を継いで20年、「味も知らないで酒は売れない」と深夜ひそかに店の酒を盗み飲みしている。 いつもまにやらのっそりと脇に立ち勝手に話し始めるオヤジ。大狸のボソボソ講釈が始まるのである。「この酒は※※の酒蔵で※※にこだわって※※した酒だよ」うるさい酒屋である。酒一本買うに大狸と講釈が付いてくる。商品のバックヤードを知っているといないではまったく違う。 なにも知らなければ「香り」「飲みやすい」「甘い辛い」これでしか味わえない。しかし「何所の誰がどういう気持ちで造った」を知るだけで味わいは2倍も3倍違う。田舎の小さなお店だがオラゲの酒は美味しいのだ。誰が何所でどんな気持ちで造った、どんな味なの酒か。 それを伝えるのが俺の仕事である。 という訳で「味も知らないで売れない」と試飲し。パートさんに「社長!在庫が合いません。」と言われ「どこかにあるよ」とごまかすも我が腹の中に証拠隠滅。業務上横領ではなく必要経費であるとしばし汗する。 2022.11.3 店主 記す 「全力を出すな」 2022年10月25日 最近自分に言い聞かせていることがある「全力を出すな」40キロくらい持てるさ、とやろうものなら「腰がぁ〜〜」悲鳴「膝がぁ〜〜」ガクガク「肩がぁ〜〜」イタタぁ。以前はビール2箱ひょいっと持てたが、今やると必ず何所かに悲鳴が走る。 だいたいその後は接骨院通い。なんと情けないことか。俺もポンコツになってしまったものだと思う。体に油っ気が無いのだろう。ギシギシ言いはじめた我が体、ストレッチなどしながらもう少し使えるように早寝早起き。1時間のウォーキングにラジオ体操している。 目もちょろくではない。夜の車の運転、いつもの道は何でもないが、初めての道では目を細めて顔を突出してまるで若葉マークのようにオドオド運転である。超爆睡だったはずだが、いままで夜は寝てしまえば朝まで起きることなかった。最近は夜中に何度も目が覚めてしまう。 再度眠れずテレビをつけてみると、深夜テレビで睡眠サポートのCMが流されていた。同じ悩みの方が多いのだなぁと思わず買ってしまおうかと思うも、まずは清き正しい生活だろうと自問自答。皆さんもふんわり柔らかく生活していきましょう。全力禁止です。 2022.10.25 店主 記す 「時給が4000円!! は驚いた」 2022年10月19日 テレビを見ていてショックを受けた。オーストラリアで短気アルバイトした日本人の時給が4000円!!「うそだろう」とタメ息調べてみるとアメリカでもアルバイト4000円の表示何??と思いました。 日本全国のパートアルバイト平均時給961円、円安を換算しても4倍の差がある!いろいろ調べれば保険はないは厚生もないは、物価・税金は2倍とかいろいろあるが手もとに残るお金の額が全然違う。 うすうすは感じていたがやはり日本って貧乏なんだ。多くの日本人は質素倹約しなければ無いなりの生活をしているが隣の畑はどうしてもよく見えてします。一昔前外国人の出稼ぎの方が♪「日本で働けば1ヶ月で1年分稼げる」と言われていたが、今度は逆になってしまいました。 所得倍増計画と岸田首相は言うが池田内閣の時と訳が違う。未来が見えてた1960年池田内閣の時はうまくいったが、ブラックホールのような岸田首相の現代はそうはいかない。さてさてどんな手腕を見せてくれるか。 大波高波荒波の国会の中、呉越同舟の皆の衆息を合わせられるかどうか。答えは10年後にございます。 「追悼 アントニオ猪木さん」 2022年10月4日 我がスマホ着信音は「炎のファイター」である。曲が流れると元気がでる。40年前、学生時代の俺の一発芸は猪木さんのものまね 口元を引き上げ顎を突出し、両手を胸の前で構えて言うのだ。 「さあぁこい、このやろう!」柔道部1年で逃げ出した弱い俺だが、強さにあこがれ「最強」を猪木さんに見ていた。毎週金曜夜8時はテレビの前、馬場さんとのタグチームの時からずっと見ていた。アリ戦 ルスカ戦 ウィリー戦、心波打ち目を見開いてブラウン管で見た。 病床で骨と皮になり顔も変わり死期を悟りながら「弱い猪木を見てもらいたい」とテレビに出て、一休和尚の「道」を必死に言葉する姿にあらためてこの人の本当の強さをしり惚れてしまった。 プロレスから政治家になり破天荒に見えた行動だったが「燃える闘魂アントニオ猪木」を最後の最後まで貫いた猪木さんに感謝をし合掌いたします。 「1・2・3・ダァ!」 「ミッキーマウスは日本製だった」 2022年9月8日 我が家の後ろに今もある古い建物私が子供の時、夏でも暗幕をして門外不出で女工さんが作っていたのはドナルドダックとミッキーマウスのぬいぐるみであった。1972年まで1ドルは360円だった。 「あこがれのハワイ旅行」という曲が唄われハワイに行くのが夢の時代。今の金額で100万円くらいかかったであろうハワイ旅行のおみやげはmade in japan。福島県産だ。よく女工さんが言っていた。「ハワイのお土産は私が作っているんだからね」 日本の人件費は安く仕事は丁寧で品質が良いと評判だった。ステーキとはテレビで見るもの想像の食べ物。ラーメンは最高の御馳走。これが外国の味かと初めての「チーズ」「赤ワイン」「トマトジュース」のなんとまずかったことか。 少し前まで日本ではmade in 中国・韓国・ベトナム製と馬鹿にしないまでも蔑んでいた。これからの日本外国から「やはり日本製は最高」と言われる物作りが日本の原点であろうと思う。1ドル360円を乗り切った日本人。 「妖怪モグラたたき」 2022年8月20日 コロナ感染が始まってから今が一番きつい時ではないか。1年前まではいろいろな支援があったが次々に無くなっている。こんなに長く続くとはだれも考えなかった。今を乗り越えれば必ず何とかなると信じ、金を借りても大丈夫と思た。飲食店や困窮者に支援金も出た。 しかし今、活動制限なしと言われても宴会は控えている。それが当たり前になってしまった。飲食業ばかりではなくまったく好転の兆しの無い業種は沢山ある。借り入れた金の返済が始まろうとしている。 コロナの支援策が次々に無くなり不安が目の前に迫っている。政府はコロナが始まった時から全てにおいて後手後手。もちろん一生懸命やられているのだろうがすべてモグラたたき状態。 最初はなんとか叩けるが途中から外しまくり空振りしまくっている。俺の愚痴も後手後手のもぐら叩きであるから、俺のグチも似たものかもしれない。政府を叱咤しても何度も何度も選挙をしてきた俺にも責任があるのだろう。 今この世にはテレビでもネットでも新聞でも報道されない妖怪のような見えない不安が漂っている。いまは見えないから怖くないが見えたら本当に恐ろしいかもしれない。 水木しげる氏ならどんな妖怪を書くか聞いてみたい。それもかなわず。 「懐かしき夏」 2022年8月23日 昭和40年夏 子供たちは「じゃ、またな」と明日の約束をして帰って行った。ゼンマイ式の掛け時計がひびの入った金属の音を立てる。午後6時「黄金バット」「巨人の星」「赤影白影」の時間である。ブラウン管テレビを一瞬でも見逃さまいと目を見開いてみた。 蚊やハエは当たり前のように飛んでいる、止まっている。1匹のハエで大騒ぎする今が嘘のように気にもせず、蚊に刺されてから「パチ」と叩く。手のひらには血の跡がついた。酒屋の店先は「一杯飲み」のお客で一杯である。 つぎつぎにコップ酒を注ぐ母に今日の晩御飯は何?と聞くと晩御飯は「あるもの」と言われた。どの家にもクーラーはなく窓は開けはなち、1台しかない扇風機は父とお客さんに占領され、母と子供たちは団扇で涼をとった。母があおいでくれる団扇の風はなぜか気持ちよく暑さを忘れてしまった。 楽しみでもあるお盆を送り、甲子園の決勝戦が終わるといつの間にか赤とんぼが飛んでいる。夕日に染まる雲が紅色に変わると夏が終わる合図である。夏の終わりに出る縞模様の蚊に刺されると痒かった。昭和の夏は暑く気持ちの良い夏であった。 「平家物語とお盆」 2022年8月9日 ♪祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり♪ もうすぐお盆を向かえます。ご先祖様と久々の再開毎年、お姿は見えないけどそこにいる気がします。お盆前、お寺では施餓鬼が行われます。「施餓鬼」は悪いことして餓鬼道に落ちてしまっ霊に 救いの手を差し伸べること。自分を顧みて生き方を考えること。他人の霊も自分のご先祖様の霊も幸せになるようにと、何百年も前から続いている。 「施餓鬼とお盆」 「諸行無常・盛者必衰」「施餓鬼」 「熨斗紙ってなんだ」 2022年7月27日 酒屋をやっておりますので熨斗紙の相談を受ける。今の時期だとお盆までが「御中元」お盆をすぎたら「残暑御見舞」、新盆の家庭に「御中元」は良いのかと聞かれるが御中元や御歳暮は感謝の気持ちだから問題はない。 「熨斗」とは品物に張る紙のことではない。右上にある菱型のやつである。祝事の時には「熨斗」付でいやなこと。病気の見舞や火災見舞には熨斗が付いていない紙を使う。水引のことも説明しよう。 熨斗紙の真ん中に紅白や金銀の紐が書いてあるあれを「水引」という。結婚に関する時は紅白「結び切り」水引を使う。普通の蝶々結びは何度もあってもよい御祝結婚は何度もあってはいかんから、ほどけない為何度もしない為上が切れている「結び切り」を使うのだ。 当たり前だが熨斗に書く名前は送り主を書くのだぞ。よく相手の名前を言ってくる者がいる。 これが無くなってしまった。親でなくてもジジババでも近所のおばさんでも町内会でも、教える人がどんどん消えている。しまいに歴史は滅びる。これでいいのだろうか。そのうち神社とお寺の区別もつかず。お参りと祈願の区別が無くなり。 神様と仏様ご先祖様がごっちゃになり家族の大切さもわからない時代がくるのかも、と思うとゾッとしてしまうのは私だけだろうか。この狸オヤジ、自慢するほど知識人ではないが昔の常識は心得ているつもりだ。困った時には遠慮なく聞いてくれ。少しは役に立つぞ。 「選挙の日は涼しいといいな」 2022年7月6日 「八兵衛や!どうも外が騒がしいぞ見てまいれ。」この暑い日和にタスキをかけた者々が騒いでおりました。「NHKをぶっ潰す」ぞ「給金を上げる」ぞ「物の値段を上げない」ぞ「学校・病院はタダにする」ぞ「税金下げる」ぞ、と騒いでおりました。 八兵衛や「夢」と「希望」の違いがわかるか。実現しそうなのが「希望」で実現しにくいのが「夢」である。「言うは易く行うは難し」とは言うが、選挙のたびに「夢」ばかり聞かされている。多くの民が望むのは安心という「希望」なのだぞ。安心とはな「不安でない」ことなのだよ。 当たり前のようだがこれが答えなのだ。八兵衛や金の使い方が本当の夢や希望ではないぞ。そこをよくわきまえて投票しなさい。と、ご老公が言っておりました。うなづいたもののよくわからなかった八兵衛でした。 今度の日曜日の天気はどうだろう。涼しいといいな選挙の日 「親父テレビショッピングの巻」 2022年6月24日 テレビをつければ「おいしい」「きれい」「痩せる」などとにかく買え買えの番組が多い。以前は深夜にコソコソとやっていたものだが、いまは昼間にどうどうとやっている。絶対に俺は買わない!!といつも言っているのによく考えれば「俺、いろいろ買っている」恥ずかしい。 寂しい夜中に「懐かしのフォークソングCD」や眠れずにいた時の※※※スリーパー。目が悪くなり本が読めずにいたら時「※※※ルーペ」絶対むりな禁煙グッツ。懐かしのCD以外は「こんなものか・・(-_-;)」と思いました。ジャバネットたかたの前の社長の話し方、あれがTVショップの元祖だろうね。 商売とは「こうやるんだ」と言っているようだ。売れてなんぼの小売りの世界だが、俺は売れなくなり暇になると「俺ってやはり才能ない」のかなぁと思い。たまに沢山売れると「俺は、才能ありかぁ!」と喜んでる。こんな一喜一憂している親父は大した商人でないのは確かである。お金かけて広告掛けて原価安いのを高く売る。 いまの世の中これが商売らしいが、俺にはできないなぁ普通に仕入れて1割2割を頂いて晩御飯のおかずはスーパーの半額惣菜とメーカーから頂いたサンプルの酒出来るだけ、早く寝て5時には起きて近所の先輩たちとラジオ体操貰ったきゅうりの漬物で朝ご飯をすます。 「これでいいのだ」とバカボンパパの口癖をいつも言っている。そんな商人ですが世の中が許せば「もう少しお店させてください」 「老人会のラジオ体操にて」 2022年6月12日 最近は朝5時には起ている。気持ちのよいものだ何十年も深夜まで仕事をしていたが最近は体のことも考え11時には寝るようにしている。朝5時に起き誰もいない緑地帯を1時間ウォーキングをする。途中御年寄が4.5人集まり毎朝ラジオ体操をされている。 2ケ月前から私も混ぜてもらうようになった。6時30分にその場所に行くようにウォーキングをしている。話では20年も前から毎日やっているとのこと時間に集まり終わると散ってしまう。集いだがこれが皆さんの一日の始まりのなのだろう。 お歳は聞いていないが70歳から80歳の方々と感じている。60歳そこそこの私は若手である。足が悪い方も来られる。近所とのことだがゆっくりゆっくり歩かれ体操は腕だけを動かしている。ここで皆の顔を見てほんの少しのお話をするのが楽しみだと言われた。 仕事をしなくなってから「寂しさ」が出たとも言われていた。毎日するべきことがあり。しなければいけないことがあり。人とかかわりをもちほんの少しだけでも世の中の為になっている。それが本当に大切なことなんだと朝6時半のラジオ体操で皆さんの曲がった背中を見て感じた。 今日は雨降りだったがいつもの場所に行ってみた。やはり何方も来ていなかった。一人でラジオ体操をしてきました。私も何か期待しているのかもしれない。 「マスクいやだよ」 2022年6月2日 昨年、くそ暑い真夏にマスクをつけて酸欠でブッ倒れそうになった。今年も暑くなってきたが、私にとってマスクは真夏に炬燵で鍋焼きうどん食べているか、激辛食べて「辛くないよ」嘘つくのと同じである。 メガネが曇ってレジ間違えるは、顔はほてるは、さらに自分の息の臭いに苦悶するは、マスクはもういやだ。(-_-;)海外のニュースでマスクなしでOK、皆マスクなしで笑顔が映る「うらやましいな、いいな~」とテレビを見ている。 お客様商売ですからマスクはするがお客様が帰ればすぐはずしてしまう。決まった所に置けばよいのだが「あっちにポイ、こっちにポイ」人に会うたびに新しいのを使う羽目になっている。日本人のマナーの高いのはすごい。 義務化ではないのに100%だろう。私も、もちろん人前ではマスクをするが、今年の夏こそはマスクなしで過ごしたいと期待していました。しかし首相のマスク推奨発言を「あぁぁ」とテレビを見ていました。※オヤジの勝手な発言です。ごめんなさい。 ※オヤジ余談 「ポンコツオヤジ」 2022年5月17日 とにかく最近体がポンコツになってきた。昔は熱が出ようが腹が痛もうが一晩寝れば治ったものでした。二日たっても三日たってもよくなる気配を感じない。 面倒と思いながらお医者様へ行くが口裏合わせたかのように「薬だしておきます」のお言葉。内科は2件、耳鼻科・整形外科・最近泌尿器科も増え。薬の量が半端ではない。テレビで思わず買ってしまったサプリも足すと毎朝15個もの薬を飯のように飲んでいる。 まだ60そこそこ、まだポンコツにはしたくはない。気持ちは30歳40歳の時と同じであるが、食欲やその他の欲は少しずつ減っているのも実感。いままでトンカツはロースの厚切り飯は大盛り何を食べるにも早食いであった。 「カレーは飲み物」と言う意見にうなずいていたが、最近の私は食事は野菜から米もよく噛んで食べる。早寝早起きラジオ体操。酒は控えて1合までにとしております。 「井上陽水の声」 2022年4月21日 初めて井上陽水を聞いたのは中学生の時いまから40年も前、友人が「これ聞いてみて」とレコードを貸してくれた。「心もよう」のシングルレコードだった。ステレオとは程遠い卓上におくプレーヤー、針を乗せ流れてきた曲に最初はなぜ友人がわざわざ私に聞いてほしいと持ってきた意味が解らなかった。 それも失礼と思い2回3回と聞いていると出だしの「ドドド・・さみしさのつれづれに・・」にいままで感じたことのない自分の心の動きに驚いた。この変な旋律と澄んだ声にはまってしまった。「どっぷり陽水」の出来上がりである。 田舎ではラジオとレコードでしか聞くことができない井上陽水LP「もどり道」「センチメンタル」「氷の世界」を買ったやすもののギターをなんとかお年玉をためて買い陽水の曲を覚え、人気のいない倉庫で弾いて歌った。どこをどうやってもあの声にならないがいつぞやCMで陽水が言った「皆さんお元気ですか」をまねたら友人が「そっくり」と言ってくれた。 てれたが嬉しかった。ありころから40年ずっと聞いている。1980年ころの井上陽水の曲ばかり聞いている。「帰れない2人」「能古島の片思い」「傘が無い」などなかでも「傘が無い」は私の中では名曲である。店を閉めてから無観客一人ライブを行うが「傘が無い」は定番曲でありアンコール曲でもある。 「テレビのスイッチ」 2022年4月8日 1970年ころのテレビはリモコンはなく、選局するにはテレビの右下の丸い盤をガチャガチャンと回すのだ。ガチャポンのように。地方ではテレビ局はNHKとローカル1局か2局、人気番組となると銭湯から人が消えると言うからものすごい視聴率だったろう。 そしてテレビからの情報は全て真実というのが常であった。ドラマの悪役やプロレスの悪役などは本当の悪党と思い込み、道を歩いていても石を投げられたという話もあったらしい。 ド庶民はテレビは嘘つかねえし、ましてや国が庶民に嘘つくなんてまっく考えもしていないのだから、お国や新聞やテレビや地元の代議士さんを信じるのが当たり前であった。何も情報の無い時代では仕方のないことかもしれない。 いまは逆にネット テレビ SNSなど情報多すぎです。今思えば昔のニュース・事件・発表間違いだらけでした。これもプロパガンダの端くれだったんだと思います。ド庶民はド庶民なりに時代の風に流されながら、テレビやお偉いさんの言葉を疑いながら真実と信じ込み、言えない文句をぐっとこらえて生きてきた。 それが我が身を守る道と信じて。
「庶民はつらいね」 「ウクライナ」 2022年3月23日 どうしてだろうな、なんでだろうないつもいつもニュースを見るたび思う。昔の日本もそうだった。しかし今の時代あるはずがないと思っている。何万人もの命と引き換えがどんな理由 正当化であろうが許されるはずがない。 ほんの数人の意思が何万人何千万人を不幸にするこれが成り立ってしまう。人間の沙我、襲われたら立ち向うこれが当たり前かもしれないが、襲われたら逃げるも当たり前でありたい。 人の考えは違って当たり前だが命は1つしかないのは同じ。主義主張で人を殺す、そんな理屈があるはずがない。面子はいらない未来を担う子供の為なら卑怯者 臆病物 裏切り者と呼ばれても俺はそうする。気分を悪くされた方がいるでしょう。謝ります。 「鶴瓶の家族に乾杯」 2022年3月10日 もう25年やってるNHKのバラエティー。丁度 店を閉め、晩御飯の時間帯のTV8時ごろテレビをつけると民放はこれでもかというくらい「うるさい」。お笑いかグルメかクイズか歌と相場が決まっていて、うるさくてかなわない。 チャンネルぐるぐる回して結局NHKになってしまう。鶴瓶さんはすごいなどんどん知らない人の心の中に入っていく。みんな嬉しそうにしている。乱暴で命令調に聞こえる口調なのにみんな心を開き笑顔になっていく。俺もこうなりたいな、なれたらいいなと思いながらいつも見ています。 以前 吉幾三さんと話して後日頂いた書に「幸せは与えてるもの」「自分の幸せは少しでいいよ」と書かれていた。幸せとは人をどれだけ幸せにしたかなんだ。自分だけが楽しんだって楽しくない。自分だけが幸せになったって幸せじゃない。 人を不幸にしての幸せは絶対ない。そう思うニュースがまた流れています。皆 笑顔がいいですよね。世界の幸せを祈念いたします。 「嘘だらけの世の中」 2022年3月2日 ホモサピエンスとはラテン語で「賢い人」という意味です。何万年も前のご先祖が「賢い人」であるならいまの人類はなんだろうね。嘘はつくは争いや戦争をするは。国家だ政治だ主権だ権利だと偉そうなこと立派なことを言いながらまったく「賢くない」。 人、ひとりひとりは皆心優しくいい人のはずだが何千年たっても嘘ついて争いし続けているじゃないか。人の言葉の半分は「嘘」だと言った学者がいたがそれは本当かもしれないですね。国家や政府の言葉はもっと嘘が多いかもしれない。 「※※の真実」なんて何十年もたってから出てくるのは政府により隠された事実がこんな後から出てきては嘘だらけの社会の中で生活しているのかと思ってしまいます。俺たちの大昔の先祖様も悲しんでいるだろうなぁ。 とにかくコロナでも紛争でも後から「※※は本当は※※だった」なんてないことを祈っております。みんな幸せに暮らせますように。人類皆兄弟だといいですね。 「オヤジの新資本論」 2022年2月16日 「利益」とは何かと聞くと企業と言われる方々は金(マネー)だと答える、利益に「ご」をつけて何と読む?ご利益(ごりやく)ですね。自分だけの力だけではない結果がでたとき「神様のご利益」があったそう思ったこといままで何回かあったろう。 敬語を付けるだけで意味が変わることはない。利益は神様のご加護であることは太古の昔からです。お金が沢山積んであります。沢山取ろうと手ひらを大きく広げ掴もうとするとたいしてつかめないものです。手のひらを上に向けて手のひらにお金を乗せてもらえば何倍もお金が手の上に乗るんです。 手のひらを上に向けると動作はやっているようであまりやっていない。やってごらん。感謝する心が芽生えるだろ。そこから得られる恩恵が「利益」つまり「ご利益」なんだよ。いつもそう思っております。感謝の気持ちなくて利益はありません。お金の流れだけを追いかけた現代の資本論は崩壊します。 「世の中捨てたもんじゃねえはず」 2022年2月8日 コロナに翻弄されて3年目に突入。いろいろな業種・仕事がとん挫しているのに、はた目からはさほど社会の中の困窮が見えてこない。何故なんだろう、補償でなんとか持ちこたえているのか。いや、ほんの一部だけのはず。 いままでは事業で売り上げ2割3割落ちたら大赤字になり廃業に追い込まれるの必然だったが、困窮している人や業種が見えなくなってきている。コロナの影響を受け困窮した者たちは社会の中のほんの数パーセントなのだろうか?大方の人達は窮せずなのだろか。 コロナで全部が影響を受け困窮してしまっては立ち直りできないが、大方が大丈夫ならなんらかの受け皿がある、ということで将来が期待できる。東北大震災の時、影響を受けたのは数%の国民だった。私は福島県の人間だがあきらめかけたあの時、多くの励ましを受け今こうしている。 ならば、コロナで影響を受けているのが数%であれば必ず立ち直りできると信じよう。いま困窮している人たちや業種はあるだろうが、必ず新しい道が開けると信じよう。人間やっていてよかった、世の中すてたもんじゃねぇと思えたら最高です。 「何でもハイハイ戦術の巻」 2022年2月2日 昼夜ひっくり返ってる母につきあい寝不足気味である。早く寝床につかせるために店の閉店時間を30分早くしました。30分早く食事を済ませ寝床に連れて行けばと思案したが、そこは筋金入りの認知症。すぐさま布団から起きて「ここはどこ」「家に帰ります」とそれを5〜6回は繰り返し、やっと就寝時間は午前3時がざら。 本人は歌を歌うは歩き回るは、私を振り回してもしっかり朝7時に起きはデイケアに行っています。送り出した私はそこでぐったり。そんなことを繰り返しておりましたが。最近「何でもハイハイ戦術」に変えたのです。ここは※※だよねと聞かれれば「そうだよ」これは※※か? と聞かれれば「そうだよ」。 全て「そうだよ」に変えたところ母の質問も減りました。認知症には否定をしないのが良いとは聞いていましたが本当です。最近、妻にも「そうだね」と相槌を打つ癖がでてしまいます。するとこちらも穏やかで平和な時間が増えてまいりました。良い副反応です。みなさまどうぞお試しください。 「オヤジのガキの頃」 2022年1月25日 大人がみんな大きく立派に見えたガキの頃いつも怒られないようにとおとなしくしずかにしていた。5歳の子供の目から見える大人の世界は不思議だった。会う人により顔や言葉が変わりえばってみたりペコペコしていたり。喧や大声は当たり前にあった。理由はわからないがただ自分が偉いんだと言いたいだけと感じていた。大人たちの態度は人によりよくもころころ変わるものだと思った。 大好きな叔父がくると嬉しかった。初めてプリンパフェを御馳走になった。目の前に現れたキラキラガラスのなかにプリンがフルーツとお城を作っていた。生クリームの美味しさに目がひっくり返った。混雑している駅の食堂の外は排気ガスの匂いがしている側溝はドブになり蓋もないところが多い、汚い。ゴミ・タバコの吸い殻は当たり前のように道端に落ちていた。 ヤクザもいる。偉そうに歩く人もいる。粗末な服で何も言わない大人もいる。酒と鶏肉が最高の御馳走の時代。1965年は現在とまったく違う世界だった。田舎では一人暮らしはほとんどなく何人かで暮らしてる。上下関係がありどの場所にもリーダーがいた。金が無くても何もなくてもなんとか暮らせた。清潔でプライバシーがある今の時代もよいのだろうがガキの頃感じたのは「温かい生きる」である。 いまのこの時代どこか「孤独で冷たく」感じる。便利を追求した現在なんでも速くなっている。こまま進んでよいのだろうか。コロナ・地球環境破壊もその反動ではないのかとそんなこと思いながらじゃまなマスクをつけ直しガキの頃を思い出していた。 「久々の家族勢揃い」 2022年1月13日 うちのバカ息子たちが家を出てから正月も盆も帰らずにおったが30日に突然 次男が帰省大晦日に長男が連絡もなしに帰省してきた。ここ数年家族全員が揃う事もなく息子らがいないのにも慣れてきたところ。突然の帰省あわててしまった。息子たちは友達に会いに行ったのか半分も家にはいなかったが本当に久々に家族が揃って年越しをした。 久々に妻のキーキー声もでて以前の風景がよみがえった。正月とは無事1年を過ごせたことへの感謝の時間年末に来た「喪中欠礼」のハガキで友の死を知り驚きと悲しみで年末を過ごしたが正月は私が1年生きた証でありそれに感謝する時間であろう。今年の年始は風が冷たく強かった。特に大晦日から元旦にかけて寒かった。 うちのバカ息子二人にまとめて会うのは次はいつになることやら。コロナも収まり穏やかな日よりの時にまた家族が揃う事を期待している。毎年のことだが「新年あけましておめでとうございます」この一行を来年も再来年もずっと先まで続けられますように。神様お願いいたします。 ここまで 読んでいただきありがとうございました。 |