オヤジ徒然 2021年 |
■ 2024 2023 2022 2021 2020 2019 「金」をカネと読むオヤジ 2021年12月15日 つくづくせこい人間なんだなと思った。ニュースで今年の漢字は「金」と発表されたとき私は「金」をカネ(銭)と読みました。ニュースを最後まで聞くとオリンピックの「金メダル」を指しているらしいが私の頭にはコロナで「カネ」に振り回された人達の顔が浮かんだ「金」=「カネ」頭の隅っこにもオリンピックの金メダルとは思わなかった。 もちろん東京オリンピックでは幾多の感激感動を頂き金メダルを取った試合をもろ手を挙げ喜んだがコロナでズタズタにされた人たちを多く目にし会社を閉じた知人を多く知っている。私にとって今年の漢字「金」はやはり「カネ」である。もう少しで新しい年になる金に振り回され年越しができない人が沢山いる。 のど元過ぎてしまうとすぐ忘れてしまう国民だが今もうずくまり影が薄くなってしまた人たちのことを決して忘れてはいけない。コロナ騒ぎは収まるであろう新年は皆で助け合い誰も取り残されない素晴らしい年にしたいものです。 「指に力が入らない」 2021年11月19日 1年ほど前から左手の人差し指に力が入らなくなっていました。痛くも腫れもなく少し不便だなと思ってた。好きなギターも弾きづらく物をよく落とすようになり「ここいらで病院に行ってみるか」と整形外科へ。先生「頸椎かもしれないMRを撮ろう」頸椎の障害なら将来首下麻痺かとビビリながら結果待ち、先生「頸椎は悪いが障害までは出ないと思う」とほんの少し安心するも、どうも治らないようだと直感する。 周りの人が心配して接骨院は と言ってくれたので近所の接骨院に行ってきた。先生「長年の酷使の結果だろう」やはり(-_-;)実は隠れ左利きなのです。箸は右、字を書くのは右、それ以外は全て左なのです。物を持つは左、絵をかくも左、料理も左、だいたい左が6割右が4割の使い方。でも握力や力は左手は右手の半分しかない。 これを60年以上酷使してきたわけでその結果「指に力が入らない」となってしまた。接骨院の先生の言葉に同感、掛かり付けの内科の先生によく言われていた言葉「若いうちは体力で病気も障害も抑えているけど」「60歳超えると抑えきれずにいろいろ出てくるから」「若いうちにしっかり自分を把握しておこう」 最近身を持ってごもっともと思っております。左手人差し指って使わなそうで結構使うんですよね。スマホ持てない、ボタン掛けられない、ギター弾けない。工夫が得意な私ですからなんとかしますが、真面目に病院と接骨院に行き酒の飲みすぎに注意します。「ここに誓います。」 「遊んで暮らす」 2021年10月26日 ふとどきにも若者(俺)の夢は「遊んで暮らす」であった。1980年大学生であった私の部屋には冬、暖房は炬燵のみ食べ物は冷蔵庫に味噌だけあった。時給500円のレストランで深夜までアルバイトし明かりの無い部屋に深夜帰宅しても温かい物はない。 彼女でもいれば違うのだろうがもちろんそれもなかった。田舎の父は朝5時から深夜まで仕事をしていた。冬になるとあかぎれの指には血が出ていた。苦労を見て育った、若者の夢は「遊んで暮らす」になった。叶えるにはどうしたらよいのか。 「遊ぶには金がいる。金は働いて稼ぐ」この方程式しか知らない若者は田舎に帰って働いた。働いて働いて働いた。あれから40年、60を過ぎてしまったが今でも「遊んで暮らす」を夢見ている。ふとどきな夢ほど楽しい。夢追い人はよいものだ 「シャッターガラガラ延期する」 2021年10月13日 店兼自宅の壁に手をついてみると手のひらが真白くなった。壁をみて見ると「塗装がはげだしてる」ではないか。建てる時は頭になかった家の修繕費用、知り合いの業者さんを呼んでみてもらったら「大きいからね大変だよ。普通の家二軒分は掛かるよ」「ほおっておくと5年ごとに修繕費+50万かかるよ。」 オヤジ(-_-;)言葉も出なくなってしまった。建てる時はまだ40代で見栄もあり「とにかく綺麗で大きい家を」とお願いした。後先考えないで建ててしまった。新築に大満足して15年、あちらこちらにボロが出始めた。まだ働けるうちにとにかく直そうと修繕と塗装を決断。コロナで売り上げなく金もない。 手と足はまだ動くが目は老眼で耳は遠くなってきた。肝心の頭はまだ動いている。還暦超えての大決断。車を買い替えるのをやめ白髪頭をかきむしり家の修理を決断しました。というわけで。「定年閉店もうすこし伸ばすことにしました。」 「マンボウ入荷しました」 2021年9月28日 酒屋ですから酒売ってます。おつまみにと販売しているキムチが大人気になり、店でもネットでも半分の方はキムチを買われる。でも95年も続いている酒屋です。私の祖父がリヤカーで始めた酒屋。でもコロナで酒が悪者になり、禁酒令ごときマンボウでまったく酒が売れない。酒が売れると先祖様に「酒売れたよ」とご報告しております。 マンボウと言えば、日曜に食事に行った小名浜の「うろこいち」さん。私はここでしか刺身定食を食べないのです。そこの張り紙をこんな風に読んでしまいました。「マンボウが入荷しましたので鮭がありません」「鮭好きの方には鮭風味のこちらの丼ぶりをお勧めします」もちろん正解は「マンボウ(まん延防止)の為、お酒が出せません」「お酒好きの方には酒風味のこちらのドリンクをお勧めいたします」 「マンボウ入荷しました」たまにですが魚屋さんに張り紙がかかります。私も一度食べてみましたがまずくはないが何とも言えない食感でした。あと数日でマンボウ(まん延防止)も終わります。この先困難がいっぱいの船出になりそう。 「メンツ」 2021年9月16日 「メンツ」は、漢字にすると「面子」となります。そもそも「面子」は中国語です。麻雀でも使われるのはその為です。「メンツ」は男性が使う言葉で「メンツがつぶれる」は男性が言いまね。いまの政治、みんな「メンツのつぶしあい」このコロナ禍やいろいろな政治問題代表のはずの議員さん。 選挙の時はメンツなんかくそくらえと言っていたのに、時がすぎれば「俺のメンツ」ばかり「俺のメンツ」はどうなるばかり。以前「こんな自民党はぶっ潰す」と言った方もいた。そのくらいの意気込みで掛かっていただきたい。「貴方のメンツなんて国民から見たら鼻くそと変わらない」身をさらけ出し先陣をきって「おらが大将ここにあり」となってもらいたい。 私たち国民はまだまだやれる。ただ行き先がわからないのだ。どっちにいけばいいか槍先を向けてくれ。頼むぜ次の大将!! 「私も一緒に扉を押すよ」 2021年8月26日 パラリンピック開会式を見て開会式を歩く選手たちは一度は絶望がよぎったのではないだろうか。でも見つけた自分の生きがいの為非常事態のど真ん中に日本に来た。笑顔でいる。人は息をして存在することが一番ではない。彼達は障害を背負いあきらめかけた時小さな小さな光が遠くに見えのだろう。 何だろうと思い一歩だけ前に進んでみた。まだ期待とか希望とかの気持ちも出てこない時、そこには重い大きな扉があった全力で押しても開かないだろうとあきらめかけた。自分にこの扉を開ける力があるのか。無理だ。そんな時「私も一緒に押すよ」と声が掛かった。大きな扉が少しずつ少しずつ開いた。 扉の先に光に包まれた道があった。一歩前に進んでみた。いままで考えもしなかったことが「夢」と「希望」と「生きがい」と変わっていった。そんな経緯が笑顔の中に見えました。コロナでどん底と思っている人が沢山いる。心の病で前に進めない人も沢山いる。災害で打ちのめされもう立ち上がれない、…と思っているかたも沢山いる。 誰かの「私も一緒に扉を押すよ」の一言が全てに繋がる道だと感じました。気分の害される方がおられたらお詫びいたします。 「話のうまい御代官様」 2021年8月19日 昔々ある所に話の上手な御代官様がおったんじゃ。そけはそれは話が上手で「困りごとがあれば何なりと言ってみよ」「皆は安心して生活できるぞ」といつも言っておった。ある日のことじゃた。村に疫病が流行ったんじゃ。「皆の者、一大事じゃ外に出る出ないぞ」と威張ってみたが疫病は一向に収まりません。 そんな時、内緒の話が外に漏れると。「俺は腹が痛い代官の職を他に任せる」と急にいなくなってしまったんじゃ。急に任せられた次の御代官も困ってしまい。「皆の命はワシが守る」「皆の命はワシが守る」と同じことを繰り返しておった。ほとほと困った村人がたずねました。 「御代官様、何故次々に災いがくるのでしょうか」御代官様は目をクリクリさせ言ったんじゃ。「皆の者心配するではない」「どんな災いが来ても」「皆の命は俺が守る」「災いが来てから考える心配するな」村の者たちはあきれてしまったとさ。 「楽しい小話」 2021年8月10日 コロナどんどん増えて恐怖すら感じてしまいます。こんな時は楽しいお話で和みましょう。 ■結婚の報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ■柿と姉・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ■出勤したら、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ■言い間違い とある夫婦ゲンカ。・・・・- 笑顔は免疫です。笑顔でいましようね。 「コロナとオリンピックと狸」 2021年7月29日 浜田屋の狸おやじは福島の田舎町でひっそりとただひっそりとデブでいる。目の前に食い物があれば手を伸ばし用もないのに冷蔵庫を開けている。近所のセブンイレブンにおにぎり1個を買いに行ったはずが手に持ちきれないほど何らかの食べ物を買ってくる。 人に「太ったね」と言われればコロナのせいにし「コロナで運動できないので」と言い訳。嘘だ。もっともらしくコロナのせいにしている。4年に一度が5年なってしまったオリンピックすごいと思う事がある。勝っても負けても「感謝」の言葉が出る。「ありがとう」と言う。本当に素晴らしい若者たちだ。 なにか自分に不利になりそうになれば愚痴と言い訳をし誰かのせいにする。私を含めて大勢の大人たちは彼達に見習わなければならない所がある。これからの社会はコロナで大きく様相がかわるだろう。決して以前と同じにはならない。 今のオヤジたちが未来を生きる子供たちの架け橋になれるかなれないか。そう、この試練は世界に蔓延した我欲に対してのオリンピックかもしれない。 「やめるなあきらめるな 必ず方法はある」 2021年7月15日 狸おやじの名刺の裏に「やめるなあきらめるな 必ず方法はある」と記してある。そんなに難しいことではない。石にもかじりつけとかスポコンのように「根性」「意地」そんなに真剣に向かっていたら体も身もボロボロになってしまうぞ。オヤジはそんなすぶとい神経持っていない。 なのに我が信念「やめるなあきらめるな 必ず方法はある」である。どんな問題に直面してもこうしてごらん。ゆっくりでいいんだよ前に進むよ。とまってもいいんだよ。何度休んでもいいんだよ。いろいろ考えてみよう。こうしたらいいな。ああしたらいいな。こうなったらいいな。ああなったらいいな。 どんどん考えよう。どんなことだって答えは1つじゃないよ。 「寝小便から子供達の未来へ」 2021年6月30日 子供のころからおしっこを我慢できない。これが悩みである。小学校の時授業中であろうが、朝礼であろうがいつも心配していたのは「おしっこ」であった。子供心に「この場でトイレに行くと恥ずかしい」いけないとなると益々心配になってくる。そうすると股間がもそもそし行きたくなってくる。これがつらかった。 大人になっても心配でいる。外のトイレは頭の中にマーキングしている。5歳のころまで寝ションベンをしていた。母は私を病院や針灸に連れて行った。縁側には毎朝、布団が干してあった。母は決して私を怒らなかったが、そのころの周囲の目がトラウマになっているのかもしれない。 今でもトイレは近くて困っているが寝てしまえば朝までトイレに起きることはないので、決して病気ではなく心理的であろう。きっと「おもらし恐怖症」なのだろう。5歳の魂と言うが大人になって五歳までの記憶をたどっても、記憶に出てくる大人たちはみんな豪快で私をかわいがってくれてた。 よい幼年期であったろうがいつも言われていた言葉があった。「オマエは跡取りだ」皆から言われていた。大学を出てもすぐ家に帰り酒屋を継いだ。自分の中では当然で何の不思議もないことであった。潜在意識とか深層心理とか言うが、この言葉だけで私の一生が決まっていた。五歳までの潜在意識が60歳を越してもあるのだろう。 いつも「ションベン」を気にしているし今こうして家を継いでいる。5歳の記憶で今を生きている。今の幼少期の子供たちはどうなのだろう変な潜在意識が入らないことを祈っている。コロナで変わっていく大人たちを見ている。マスクをしなければならないと言われ。酒を目の仇にされている。 会話はネットでするもの叩き込まれている。世の中は変わるのは当たり前であるが、接触が無い心の無い世界が正しい世界と潜在意識に叩き込まれた子供たちの将来に不安を感じる。未来の世界は技術・化学・医療の進歩はすごいだろうが、それが人として生きていける世界なのか怖い気がしている。 「銀の匙」 2021年6月8日 息子に何か良い本があるかと尋ねたら、中 勘助氏の「銀の匙」をすすめられた。まだ読みだしたばかりであるが、私でも昔過ぎて難解な言葉が多い。しかしどんどん本の中に引き込まれる感覚がある。昭和の空気の匂い 生活の風景がどんどん目の前に広がっていく。 薄焼けた紙の中に現れる街並みと登場人物が頭の中で実在しはじめた。蝉のとまる電柱も蓋のないドブも入れ墨の兄貴たち、ひしゃげ声の見世物小屋の呼び込みも、どんどん形になり私の前にあらわれてくる。ジュマンジである。 リアルタイムばかりの現代通販でも今日注文すると明日届く急いでなくても明日届く。世の中すべて早すぎるんだ。待つ楽しみも悩みの時間もなくなっていた。少年漫画の懸賞に応募し翌月号の当選結果をのぞき見する楽しさや、憧れの人が通る時間帯の路地に心の時間を奪われた少年時代が懐かしい。 「銀の匙」を手にした時、光が走り私を昭和に放り込んでくれた。これから何が現れるのだろう。ロビン・ウィリアムズのように逃げるのか立ち向うのか。大人にすれば小さなことも子供の時は大事件である。 さて欠けた茶碗に日本酒ついで続きを読もう。内気で泣き虫で弱虫の私に戻れるかも。こんな時代なら戻れなくてもよいのかもしれない。呪文は「ジュマンジ」 「でも納得できない」 2021年5月18日 酒を扱う飲食店さんが軒並み閉店を考えています。飲食店ではマスクを外し話も盛り上がる、感染しやすいので閉店してほしい。政府の言い分は解ります。何しても減らないコロナ感染は皆の協力なければ収まらない。よく理解しています。コロナの医療が崩壊している。また崩壊寸前。これもよく理解しています。しかしすべてに対してお国の立ち振る舞いには納得できない。 感染が始まってから2年。ワクチン接種率世界最下位ランク。軽すぎる非常事態宣言。パンクはするは当たり前のワクチン接種システム。年寄りだらけの地方は都市部以上に怖がっています。スーパーや施設に入らない限り密になる方が難しい田舎町なのに。その田舎町は死亡率が都市部の5倍(オラの福島県) みんな頑張っているのだが、方向性も指針もはっきりしないお国の立ち振る舞いにはどうしても納得できません。何が悪いのでしょうね。何でできないのでしょうね。情熱も信念も伝わってこないから皆さめてしまっています。 最後に感染された方と医療の方にしわ寄せがきます。私たち頑張りますから「安全」でないことは知っていますから。どうぞ政治をされている皆様。ただ「安心」と「信頼」をください。お願いします。現場で頑張っている皆様へ…気持ちで書いてしまいました。 「不思議の国のアリスになった母」 2021年4月24日 毎日「ここはどこ」「貴方はだれ」と言う母。母は86歳認知症である。1年前から一人でぶつぶつ話をしている。相手がいるらしく「そうだね」「そうだよ」と相槌を打つ。しかしその話をよく聞いてみるとあまりに正確で驚く。私は「不思議な国のアリス」と呼んでいる。 アリスの世界では母の20歳の頃らしい。どこどこの誰々がどうした。隣のミヨ子さんはどこの家に嫁いで、そこの家には・・がいて 職場は・・で、親戚の・・は誰と誰・・。母の女学校時代のことも話す。前の席の・・さんは・・でとか先生の名前 同級生の名前が出てくる。全て当たっている。 女学校の時英語が得意だったらしく英語も話す。目をつぶり誰か見えない人と話をしている。全て的を得ている。ふっと目をさまし私に言う言葉は「ここはどこ」「家に帰ります」目を覚ますと周りの人は全て初めて会う人らしく不安でいる。目を覚ました時この世界は不安な世界で、目を閉じいろいろな人と語る時が一番幸せな時間なのだと最近気がついた。 母は「不思議な国のアリス」になった時がいちばんの幸せなのかもしれない。私はコロナや不安政治のこの世の中では、母が独り言を言うと安心するようになってしまった。 「狸のコロナ太り」 2021年3月31日 狸とは吾輩のことである。小さな店に鎮座「狸」は浜田屋オヤジである。コロナのせいにしてしまうが とにかく今の楽しみと言ったら食べることしかない。金はないが美味い物は食いたい。近所のスーパーに閉店間際にでかける といろいろ安くなっている。しめしめ。こんな生活を繰り返しておった。 昨日医院に薬を貰いに行った。前回の採血の結果を見てお医者様が言われたのです。 スーパーの見切り特価を見つけてはほくそえんでおったが、これは何とかせねば認知症の母の面倒も見られなくなったら大変である。まだ若いはずと油断していたが 本物のオヤジに半歩突入したと肝に命じるその時が来たと。自分の頭に叩き込んでおこう 「白浜の薄磯海岸」 2021年3月11日 車で20分の道のり、町から左右に田んぼを挟んだ道をすぎ小山の上に不思議な大きな池のある。沼の内地区を過ぎると一気に新しい光景が現れる。新しい道路、真新しい300mの丘がある。丘には小さな松の木が等間隔に並んでいる。海抜10メートルの防潮堤である。500m先には観音様のように塩屋崎灯台が見える。左に見える海岸は薄磯海岸である。 子供連れの家族づれ、バイクの若者たち青い綺麗な海辺の光景だ。10年前この地区には海岸に3メートルほどの防波堤があった。海と住宅地は近かった。住宅地の200m後ろは山である。前は海、後ろは山低い防波堤のこの町に5mの津波が来た。昼間は若者は町に働きに行き海辺の町には年寄りが多かった。高台までは遠かった。 私は10年前まで毎週この海に釣りに来ていた。所々に磯があるこの場所は私の恰好の釣り場であった。ヒラメ・イシモチが釣れた。2011年3月11日私はあの時から釣り竿を持たなくなった。釣りをしなくなって10年でも月に一度はこの海に通っている。認知症の母の手を取り新しい防潮堤を歩く。 防潮堤の上から見える海は昔と同じく青くキラキラと素敵な海原を見せてくれている。認知症の母は何もわからないが「母さん海に行こう。」と言うと、うなずいてついてきてくれる。白い砂浜で小学生の姉妹が走っている。お父さんが追いかけお母さんが笑っている。昔に見た光景があった。昔、何があったとしてもみんな海が好きなんです。 オヤジのひとりごとです。ご容赦を。 「駅ピアノ・街角ピアノ」 2021年3月1日 世界の空港や駅・街角に置かれた自由に弾けるピアノ。NHKのこの番組が始まると仕事の手を休める。一台のピアノが大きなロビーに置かれている。出勤途中の方や通学の学生や夜勤帰りの方が恥ずかしそうに座り弾き始める。自分に語りかけるように嬉しそうに弾いている。 演奏後、言葉が短く流れる。撮影スタッフの質問の声は入らない。演奏した方の素朴な答えがまたよい。 「私・・・なんです」の言葉でその方の小さな歴史が垣間見える。 「記憶の中の地震」 2021年2月18日 2月12日深夜11時、母の面倒を見ながら仕事をしていた。「あっ地震」・・あれ、こりゃまずいかも。だんだん揺れが大きくなっていく。酒屋であるからガラス瓶だらけ、ガチャガチャの音がドンドン大きくなり酒がドミノ倒しのように倒れていく。10年前のあの時と同じ光景が目の前に現れた。 不思議に怖くはなかったがバジャン・ガチャンと音がするたび「チクショウ」「チクショウ」と叫んでいた。揺れ具合からこれ以上大きくはならないと変な確信があったが、酒が割れる音がするたび10年前を思い出し「チクショウ」と大声をあげてていた。「チクショウ」は酒の破損ではなく思い出す記憶に言っていた。 母の頭を抱えながら地震が収まるのを待った。テレビではすぐ「津波の心配は無い」と言ってくれた。これで本当に落ち着いた。店の床は酒の海となりガラスが散乱していたがなぜか私ぱ怒りもせず。「どれどれ 仕方ないなぁ、掃除するか」「まず腹ごしらえ」とラーメン食べテレビの緊急放送を他人事のように見ていた。 掃除時間24時間、壊れた酒70本、破損ガラスの重さ50キロ、使用した古新聞500枚。特に悔しくもなく一人で淡々と片付けをした。自分でも不思議なくらい平気だったのはきっと10年前があまりに酷だったからかなのかも知れない。あと20日でまた3月11日が来る。そのほうが今回の地震よりいやだと思っている。 「男は度胸 女は愛嬌」 2021年2月9日 男は度胸、女は愛嬌と昔は言った。世を渡るために口下手な男は行動と度胸で女は愛嬌で家庭を守った。生き抜いた。男は女に口ではかなわないことを知っている。洞察力でもかなわない。たまにチラリと出る本音を女性は見逃してはくれない。 体力が不要となったこの時代行動力と度胸で引っ張ることは出来なくなった。どんどん男が弱くなってしまった。いまや「女は・・・だ」と言えは袋叩きにあう。下手にお世辞を言えばセクハラだと言われ、視線が下がればセクハラだと言われ。男にとっては住みにくくなってしまった。 男女平等ではないと言うがバランスではないのだろうか。体力と行動力で勝る男と知恵と機転に言葉で勝る女、一緒に生きていくにはお互いを認め合う事だろうな。あやまっている森元総理を攻める世論にも、菅総理を攻める蓮舫氏にも、なぜそこまで攻めるのだろうと思う。 「蓄膿症の手術 昔は拷問」 2021年1月25日 小学校のころ鼻が悪かった。鼻をかむにテッシュはない花紙または新聞紙である。学校の成績が悪いのは鼻が悪く酸素が脳に届かないからだなどとまことしやかに言われ、13歳の身にて田舎の耳鼻科で手術を受けることになってしまった。 言われるまま手術台にあがり受けたのだがオカルト映画か地獄の絵図そのままの手術。ノミと金槌が覆いかぶさってきた。いまでも思い出すだけで背筋が寒くなる。昔の手術とはまさに「拷問」であった。術後は顔が腫れあがりタコ八郎そのままであった。 さらなる恐怖は包帯換への時である。鼻の奥にくっついたガーゼを一気にはがす。アーともウゥともつかない声と涙が止まらない。そんな苦行を乗り越えたからかいまは鼻の通りは悪いが鼻づまりが無い。あれから48年いまマスクをしなければならないご時世になってしまい、息を鼻半分、口半分でしている身にはマスクは苦しい。 何十年も忘れていた鼻の通りの悪さ13歳の夏の手術台の恐怖体験をコロナのせいで思いだしてしまった。マスクしなくてよい時が早く早く来ることを願うばかりです。 「今年は酒を仕込みません」 2021年1月13日 「ウラメシヤ~」です。オヤジの地元の銘酒「又兵衛さん」から残念な連絡が入りました。「今年は酒を仕込みませんでした」 誰よりも地元の酒を愛してやまないオレにとってあの「しぼりたて」が飲めない。酒を仕込まないから「又兵衛の酒粕」もない。ないない尽くしです。自社杜氏さんのいる酒蔵は量を減らしても酒を造れるが、杜氏さんを呼んで4ヶ月寝泊まりして造っていただくが又兵衛さんはそうはいかない。 寂しい限りです。何もない田舎町で唯一の観光拠点スパリゾートハワイアンズも閑古鳥鳴いていると言う。海辺の魚市場も観光客さんいないと言う。これは本当に「やばい」菅総理!国民みんな腕組みして首倒してますよ。 安部さんも口八丁の妖怪だったが、菅さんは見えない見えない座敷童子のようだ。原稿朗読「ガースー」にリーダーを感じず不安だけが増してくる。コロナも菅さんもどちらも困ったものだと思う。日本の緊急事態宣言とはこんなものなのか。 有事が起きた時もきっと「みなさんこんにちは、ガースーです」「専門家の意見を聞き最善な手を考えます」「皆様には命を守るご協力お願いします」となるんだろうなぁ。不安だけが増してくるこの冬。春が待ち遠しい。ああ「ウラメシヤァ~」 オヤジのひとりごとです。 「本当に困った」 2021年1月7日 正月に1人で店番をしていたら電話が鳴った。がんばっている小さな酒造メーカーさんの専務さん。飲食店と地元の酒屋さんに卸ている。大都市の居酒屋さんにも納めているが「本当に困った」と、飲食店さんへ12月に納品がない。大都市ほど注文が無い。 実は美味い日本酒の半分は飲食店さんが使っている。酒の席がコロナで奪われている。居酒屋さんは死活問題だがその後ろにいる酒蔵、漁師、畜産、農家も困っている。ではこれは突然起きたことなのかと言うとそうではない数か月、半年前に想像がついていた。 毎日入ってくる海外の情報を見ていたら想像がつく。冬になれば拡大することもわかってた。知っていたのに準備ができない。まるでうちのバカ息子のようだ。日本人の欠点に困ったときにはお上が何とかしてくれるという意識がどうしてもある。 でもそのお上は後出しジャンケンばかりしている。それでもまたお上に頼ってしまう。私たち自分でできることもっとあるはず戦後も震災も乗り越えてきた。かならずこの窮地も乗り越えられる。皆で頑張ろう。 ここまで 読んでいただきありがとうございました。 |