オヤジ徒然 2020年

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「しらけ鳥とんだ」
 2020年12月17日

小松政夫さんが亡くなったのニュース。親戚に必ず似ている人がいるようなごく普通の風貌。とにかく一生懸命に笑いを取ろうとする姿が40年前からまったく変わらなかった。忘れていたが「あんたはエライ」のフレーズも小松さんだったと思いだした。

自分の信念を貫くことを彼に見たような気がします。それに比べて・・東北大震災の時もそうだったが、日本のトップたちの頼りなさはなんなのだろう。人を小馬鹿にしたようなムニュムニユ喋りくだらない言葉の連呼に言い回し。

「もーイヤ、もーイヤこんな生活!」
「どうして! どうしてなの! おせーて!」
「知らない! 知らない! 知らない! もー」
との国民の声に……
「どーかひとつ」
「ながーい目で見てください」
「悪りーね、悪りーね、ワリーネ、デイートリヒ!」
と政府の答え……

それを見ていた子供が歌いました。
「しーらけ鳥飛んでいく、南の空に。みじめ、みじめ~♪」……
小松政夫様のご逝去を心からお悔やみを申し上げます。
オヤジのひとりごとです。


「昔は寒かった」
 2020年12月2日

12月になったが昔を思い出すととにかく家の中が寒かったのを思い出す。とにかく寒かった。家の中でも防寒着を着込みほとんど外と同じ服装のままであった。板の間を素足で歩くときは熱い鉄板の上を歩くように足の裏を浮かせ歩いた。夜、冷たい布団に入るときもコツがいる。

布団に入った瞬間に布団を頭までかぶり布団の中で大きく何度も深呼吸をするのだ。自分の息で布団の中を温めるのだ。夜のトイレがまた寒い。ドテラを着て一気にトイレに行く。用を足したらまた一気に戻り布団に駆け込む。朝の着替えも布団の中でしてしまうのだから昔の子供たちは手品のように器用だった。

子供たちはしもやけ・あかぎれが当たり前にあったものです。寒さ対策も今とは違う。靴下に唐辛子・パンツ・シャツ・靴下2枚重ね。今の温かいのが当たり前に慣れてしまった私は「俺は贅沢しているのかな」と思う事もある。人間どんどん贅沢になる♪限りないものそれが欲望♪(陽水)と思ったりする今日この頃です。
オヤジのひとりごとです。


「 案 山 子 」
 2020年11月14日

♪元気でいるか〜 町には慣れたか〜 友達できたか〜 お金はあるか〜寂しくないか〜♪。オラ家のバカ息子何しているのやら。ラインでいろいろ心配しても一言返信「はい」。たまに2行「わかりました」か「大丈夫」か「ありがとう」のどれか。オイこれだけかよ。

振り返ってみれば俺もそうだったような気がする。40年も前になるが公衆電話に10円玉10枚持って家に電話した。東京から福島に電話すると30秒で10円かかる。間髪入れずチァリンチァリンと10円が落ちる音。「あっ母さん・・悪いけどお金少し送って」「ありがとう」ガチャ!  だいたいこれが定番の電話。

バカ息子が遺伝してしまった。東京にいた頃フォークソング全盛だった。20歳で亡くなった親友が「グレープ」を薦めてくれた。それからずっと私の音楽の中に「さだまさしさん」がいます。親友が好きだったその時々の歌を聞くと、友達に諭されているようなやすらぎを与えてくれます。

いま田舎で酒屋をやり母の介護で趣味もなくなり、仕事が趣味なんて言ってみたりしながら何しているのか。うちのバカ息子二人のことをいつも思っている狸のオヤジがイヤホンで聞くのは。
♪元気でいるか〜 町には慣れたか〜 友達できたか〜 寂しくないか〜 お金はあるか〜 今度いつ帰る〜♪・・・
浜田屋オヤジひとりごとです。

追伸
「雨やどり」「朝刊」のような女性はきっといると勘違いしていた若き日。「関白宣言」はあくまでも希望で「関白失脚」が事実であったことを知った結婚生活。
「精霊流し」に二十歳でなくなった友を思い出し、「北の国から」に田中邦衛さんを思い出す。「今夜も生でさだまさし - NHK」は体に悪いと先に寝る、さだファンである。


「母の手を引いて 秋」
 2020年11月5日

毎朝 母の手を引いて緑地帯を散歩する。クヌギの木・桜の木の葉が斑に色づいている。近くの家の柿の実は今年は少ししかついていない。葉は色づく前に落ちていた。毎日の散歩で会う方は同じである。どこに住んでどこに勤めているのか分からないが、軽く会釈し軽く微笑むようになった。みんな出勤なんだろう。

紺のスーツを窮屈そうに来た方、遅れそうなのかいつも速足の方。大きなバックを毎日持ち歩いてる方は出勤がいやなのかいつも、重そうな足取りである。でも皆 軽く会釈したり目を合わせたりする方が少しずつ増えてきた。皆、毎日同じ朝の始まりである。朝は毎日、秋は年に一度必ず来る。この必ずと言うのがよい。

枯葉が両側に積もった幅一間の散歩道。今年も出会えた秋に来年も再来年もその先もずっと会いたい、と頭の隅っこで思いながらの散歩である。母は時々私を「お父さん」とか「弘」(母の弟)と間違える。その都度 役になりきり話を合わすが急に「お前はテツヤだろ」と正気になるからまた大変である。

そんなことしながら乾いた北風の下を母と歩く、静かな時間が来年も再来年もその先もずっと思うようになってきた。秋はそんなオセンチにオヤジもなるらしい。
なんて 気取ってみました。
似合わねぇ文章書くんじゃないよ(V)o¥o(V)
浜田屋オヤジひとりごとです。


「金のなる木はありません」
 2020年10月28日

どこから金が湧いてくるのかと思うほどコロナ対策では金が使われている。100億円と聞いても「あっそぅ」の感覚です。旅行にいっても食事しても次々にお金が出てきて0円になるらしい。田舎のジジババたちは何のことかわからんでいる。

GOTOと書いて「強盗」と読んだ俺のばあちゃん。苦笑いです。お国から使え使えと金をばらまかれ。金が回らなければ国が亡ぶと言われればそうなのかとも思うが、晩飯のおかず10円でも安いほうと頑張っているド庶民はついていけない。

昔から困ったときに遠い親戚より近くの知人、向う三軒両隣といった助け合いができなくなった。
「隣は誰? しらん」
「ババがジジ介護」
「独りぼっちの死」
「見猿言わ猿 かかわら猿」の時代

金がなくても昔なら何とかなっただろうが、この時代は無理なんだろんなぁ。お殿様からお金がバラまかれました。皆と一緒にあなたも拾いました。そのお金、あなたはどうしますか。
「懐に入れたい」「人を助けたい」いろいろ考えますね。
でもお金の裏をよーく見ると「借用書」と書かれていました。返済は未来の子供たちです。

金のなる木はありません。今一度周りを見回してみましょう。本当に大切なことに使いましょう。
浜田屋オヤジひとりごとです。


「吉田拓郎 永遠の嘘」
 2020年10月21日

昔から人をだまし隠し撮りする番組が好きではない。慌てたり不安になる表情を見て楽しむ。最後はネタばらしで笑顔でEND私は軽めのいたずら番組もダメだ。若手芸人ならいいだろう。リアクションが面白いとか。人気俳優の変装とか。隠し撮りを見ているだけでイライラしてくる。

「女はいくらでも嘘をつける」と言って物議になった発言があった。問題発言ではあるが真実もある。吉田拓郎氏「永遠の嘘をついてくれ」と言う歌がある。好きだと言って愛していると言って結婚。それが嘘でも曲の「たねあかしをしないでくれ」の詩最後の最後まで幸せの言葉が嘘であっても永遠の嘘であればそれは幸せになる。

うれしい言葉、幸せの言葉。もしかしたら嘘かもしれなくても、永遠にそのまま嘘をついていてくれれば幸せで終われる。テレビといえお笑いといえ誰の困った顔も見たくない。ハッピーエンドでも幸せにはなれない。嘘をつくなら幸せの言葉を最後の最後まで突き通せ。幸せのたねあかしをしないで終われば幸せである。
文章まとめ下手な オヤジ記す


「縦割りってなんだ」
2020年9月25日

安部さん、オヤジの予想通り2回目のリタイアしてしまいました。
「潰瘍性大腸炎」治りにくい大変な病気です。
新政権「縦割り改革」の説明を聞いていて、いままでこんな環境で政治をしていたんだとあまりの酷さにあきれてしまった。自分の無知さにもあきれましたがまったく横の連携がない。一つの事業であっちに行ったりこっちに行ったり。

「その許可は・・※※省」
「その許可は・・※※省」
「その許可は・・※※省」

「警察署と消防署と地元の市役所と保健所もね」( ;∀;)一度ぶち壊した方が早いのではないか、と 思うほど無駄だらけの酷いものです。コロナでいろいろ「なぜ?なぜ?」日本はやらないの、できないのと思う点多々、すこしずつわかってきました。結果的に「責任」を取りたくないから責任細分化政権なのである。

さらに最近のお国のやること企業に似てきた。次々に出てくる金で吊るキャンベーンの山々。「金やるぞ」「金出すぞ」と最近なんでも金かねカネ。何かやろうとすると「ほら金だポイント還元だ」「お得だよ」と、孫さん三木谷さん達とおんなじではないか。金で吊るのは手っ取り早いが、こんか政策が当たり前になってはさすがにいけない。

政府とは国民に将来の姿を見せ希望と夢を与え、一緒に未来を切りく存在であってほしい。俺たち平民国民は震災だって、バブル破壊だって乗り越えてきたんだ。いまこそ『ONE TEAM』になればなんだってできるさ。その為にもまずお国から変わって先陣切ってもらいたいものです。まず「縦割り」をぶち壊せ。
浜田屋オヤジひとりごとです。


「新聞、読んでいるかい」
 2020年9月15日

単身若者に聞く「新聞を読んでいるかい?」ほぼ「NO」の答えだろう。新聞を広げると目の前が全て新聞の情報で埋め尽くされる。2面に広がる沢山の情報から見出しを頼りに自分に必要なニュースを探すのに10秒は掛からない。

見つけては読み 見つけては読むものの、20分ほどで今日の情報収集は終わる。スマホが普及し、ただ興味を引く見出し合戦の箱の中読んで行くと「この先有料記事」または広告に占拠されたページばかり。ネットはその時の調べには素晴らしいが、新聞の代わりにはならない。

私は新聞を一番最後から開く。昨日起きた身近なニュース後ろから一枚ずつ前に進む。40年前の学生時代、洗剤を買ったことが無かった。洗剤=新聞?? 何故か理解できた方=オヤジと同年代「新聞はいいですよね」最後はトイレットペーパーももらえるし。
「新聞は最高です。」
浜田屋オヤジひとりごとです。


「おおぜいのなかのひとりぼっち 苗字編」
 2020年9月4日

私は「佐藤」です。特に出所に興味もなく平民苗字許可令の時お寺さんかお役所に「ほらこれ付けろ」と付けられたのだろうと思っています。「加藤」「吉田」「鈴木」さんも同類かな大勢いる苗字さん達は自分の苗字がどこから来たか興味がないですよね。

最近NHK{日本人のおなまえっ!}で苗字にはいろいろな歴史があることに感動です。苗字はその土地独特の偏りがあります。私の地区に沢山いる「草野」「金成」「蛭田」さんも特々らしい。私のお世話になっている方の「朽木さん」も変わった苗字「くちき」・・腐った木でも歴史のある苗字でした。

私は福島県ですが「猪苗代さん」から注文があった時は感動しましたね。福島県を代表する湖の猪苗代湖に由来するのかなとか、いろいろ思いました。苗字には素敵な物語がいっぱい入っているんです。難しくて読めない苗字地区により読み方が違う苗字、あまりにレアで信じられない苗字、大声で呼べない恥ずかしい苗字など、でも調べると本当に素敵な物語がいっぱいです。

ご先祖も親も私も生まれた時にすでに付いている苗字、辿っていくと素敵なことがありそうな気がします。いまたくさんのひとがいるのにひとりぼっちがふえてきました。自分がどうしてここにいるのかわからなくなってきました。すこししらべてみましょうか。すこしあんしんするかもしれませんね。
浜田屋オヤジひとりごとです。


「じゃんがら念仏踊りにふるさとの香」
 2020年8月20日

福島県いわき市のお盆ではジャンジャンと鉦の音がする。ドンカドンカと太鼓の振動が伝わってくる。10名の若者が白に紺の浴衣を着、長いタスキをかけ白足袋をすりながら鉦と太鼓を鳴らす。傍らには冷たい飲み物やスイカが用意されている。

「♪いわき名物じゃんがら踊り・・・南無阿弥陀仏・・♪」踊るものも観る者も汗だくの夏の風物詩。朝8時から夜10時までどこにいてもこの音色が聞こえていた。今年は車も少ない子供たちの声もしない、鉦の音も太鼓の音もしない。

外に出れば太陽はスペシューム光線を放ち私を襲ってくる。8月15日終戦記念日は母の誕生日。毎年、孫や子供たちに囲まれていた盆の15日。念仏踊りの音も無く孫の帰省も無く、姉と3人で食べたロールケーキ。寂しい夏は今年だけにしてもらいたい
浜田屋オヤジひとりごとです。


「遠藤周作 沈黙」
 2020年8月3日

「わしが転んだのは…神が何ひとつなさらなかったからだ。わしは必死に神に祈ったが、神は何もしなかった」は、遠藤周作

「わしが苦しんでいるのは、貴方がなにひとつなさらなかったからだ。わたしは必死に貴方に訴えたが、貴方は何もしなかった」は、浜田屋オヤジ

「なぜ貴方は沈黙されているのか」。

地方の知事さんや専門家の方たちの必死な訴えが、国会議事堂の空高く消えていく様は無人島での大声のようだ。

奇妙奇天烈な法解釈が得意だった貴方。どんな苦難も煙に巻く術の得意な貴方これが最後の御奉仕です。最後の力振り絞ってください。もう皆わかっているんです。自分の身は自分で守ること。自分を守ることは愛する人を守ることと。そこに貴方の力が加わればこの危機を乗り越えられること。沈黙なさらずに言葉を発してください。

オイオイ浜田屋のオヤジがまともなこと書いてるぞ。きっと震災後遺症にコロナ不安、さらに飲み屋に酒が売れなくて変になったんじゃないか。(^_^.)

イヤイヤ、オヤジいたって健康でごじゃります。
浜田屋オヤジ 狐狸庵にて瞑想中 "(-""-)"


「オヤジ徒然20年」
 2020年7月9日

メルマガの最後「オヤジ徒然」。オヤジの独り言なのだが、20年書いている。10年前より相槌を頂くことが多くなってきた。オヤジと同年か年上のお客様。「そうだね、そう思う」「わかるよ俺もだ」当初だれも読んでいないことが前提だからこそ書いていた「オヤジ徒然」であった。

どうせ誰も読まないし好き勝手に書いて メルマガ埋めれれば良いかと、その時の感情を書いていたが 購読者がいると判明した時は驚き桃の木。もちろん読んで頂きうれしいのであるが、感想を頂くとビックリも照れもあり とにかくうれしや恥ずかしやである。

まして来店され「読んでますよ」なんて言われたら、赤面ひゃっくり股間チジマリである。家族のことを書いて妻にバレ、キーキーネチネチ叱られたこともある。次々変わるネットの世界。メールを開くことがなくなるだろうが、この古風なメルマガは私の湯治場のようなもの。

どうぞオヤジの日記を覗き見するように、気持ちが合えば相槌頂きこれからもお読みください。
浜田屋オヤジより ありがたい購読者様へ


「花が咲きました」
 2020年6月22日

浜田屋の店先に花がきれいに咲いています。手入れもしないのに毎年季節になると咲く花たち。看板の下にピンクつつじと紫の松葉菊が今年も咲いてくれました。申し訳ないほど粗末にしている。

日照りで枯れそうになってあわてて水やり、肥料もいつやったか忘れたまに荒っぽく雑草引き抜く。彼女は文句も言えずそこにいなければならない。浜田屋の店先に植えられたこと不運と思ているだろ。こんなオヤジをにらむことなく笑顔満面で俺を迎えてくれる。

踏まれることもある。無造作にむしられることもある。なのに毎年咲いてくれる。ふと振り返り周りをみて見ると、人の都合で生かしたり殺したりしている命がここにそこにもあちらにもある。木も花もペットも魚も虫も小動物も、みんな人の都合になっていました。

やはり人間との歪を生むだろうな。疫病もそんな歪の表れかもしれないね。千と千尋を思い出した。全て物に「神」と「命」がいるんだよなぁ。店先の綺麗な花、夏が終わったら手入れします。

浜田屋オヤジひとりごとです。


「今まで誰にも話さずにいたが」
 2020年5月27日

いままで黙っていたがチビまるこのテーマ曲を勘違いしていたのを白状する。実はずっと「はらくだりの歌」と思っていた。「ポンポコリン」とはお腹のこと。歌詞「ピーヒャラピーヒャラ」とはお腹がくだる音。昔からおなかの調子が悪い時「今日はピーヒャラ」と言わないか。

歌詞「タッタタラリラ」とは冷や汗のこと歌詞「あの子もこの子もみんないそいで歩いているよ」あぁ??もれちゃうよ、いそいでいそいでと理解していた。大人気となり紅白歌合戦でも歌われたがずっと「はらくだりの歌」と思っていた。

なぜ腹下りの歌が子供のアニメの主題歌なのか。不思議に思っていました。ピーヒャラビーヒャラ パッパパラパ タッタタラリラ お腹ポンポコリン。恥ずかしさもあり今まで誰にも話さずにいたが「はらくだりの歌」と思っていたのは、わたしだけなのだろうか。

本日は汚い話で申し訳ない。ご勘弁
浜田屋オヤジひとりごとです。


「井上陽水 人生が二度あれば」
 2020年5月15日

初恋の味を知った中学の時、井上陽水の「人生が二度あれば」を聞いた。♪「父は今年2月で65_顔のしわを増えていくばかり、仕事に追われ_」♪「湯呑に映る自分の顔をじっと見ている_」♪
毎日ニキビと格闘し背の伸びに追いつかない学ランを着て、モテたい気持ちありありにギターを覚えた。父親と曲を重ねていたが今は自分になってしまった。

近所のお姉さんの床屋に行き 鏡に映る自分の顔を見て。「オイ お前は俺か」こんな顔デカイか? 頭、真っ白ほっぺ落ちて首太く、顔黒いぞ。背中丸まってんじゃないか、姿勢悪いぞ笑ってみろよ、なんと笑顔が似合わない顔だな。まるで子分に見捨てられたヤクザの親分みたいだ。

夜中ひさびさにギターを弾いて歌てみる。「♪人生が2度あーれば、この人生が2度あーれば♪」自分の詩になりつつある。といってもまだ60の若造、諸々の諸先輩を差し置いて先には逝けません。何もわからない母もいて俺しか守れない妻もいる。なにしているのかわからない息子もいる。

この家もある。土地もある。先祖の墓もやっと立ち直ったこの町も近所の年寄も皆いる。もう走れないけどまだ歩ける。♪「どこまーでも行こう、道は険しくても口笛をふきながら歩いて行こう」♪
よっしゃがんばろ。
無知な浜田屋オヤジひとりごとです。


「ガキの頃を思いだした4日間」
 2020年5月7日

昭和40年7月、夏の太陽が赤くなり雲が紅色に輝くと子供たちの遊びの時間は終わる。肩の伸びたランニングシャツ、泥だらけゴム底で青に黄色の線の運動靴、すりむけて赤チンだらけの膝小僧。水道の水は繋がれた青いホースの先から勢いよく出てくる。

指先の力加減で水道水が天にも昇る龍になったり、滝になったりしながら子供たちの汗まみれの泥を流してくれた。かあちゃん「腹減った、今日の晩御飯はなに」母「あるもの」そう母の料理の名前は「あるもの」であった。店にはひっきりなしにお客さんが来た。

店先で足音がすればお客さんが入ってきた。仕事帰り40円の「コップ酒」を一気に飲み干す。ジャンパーの袖や襟首は真っ黒だった。でも誰も汗臭いとは思わない。汗のにおいは当たり前の匂いなのだ。田舎の家には冷蔵庫はまだないビールは最高の贅沢品だった。

1日働いて500円の時代125円していた。酒屋では氷を入れた木製の冷蔵庫で冷やした。母は次々に来るお客さんを相手しながら泥だらけの子供たちに晩御飯を食べさせる。電気炊飯器も冷蔵庫も電子レンジもない。網戸もないもちろんクーラーもない。台所でも蚊やハエは当たり前のように飛んでいる。

しかし汚くも無く暑くもない。今日のご飯は「あるもの」それが当たり前だった。それからたった55年「昨日はお寿司だったから今日はお肉だね」昔なら一年分の贅沢を2日でしてしまう。どこにも出かけないGW「あるもの」で食事を済まし、夜は早く寝てここは何所と聞いてくる母の相手して過ごした。

ガキの頃を少し思いだした4日間。これもまたよろしと思いました。
無知な浜田屋オヤジひとりごとです。


「もくもくと もくもくと」
 2020年4月23日

福島の県民性なのかな誰一人「コロナ」の愚痴を言いませんん。不満を言いません。「マスク作ったよ、使って!」「除菌液※※で配っていたよ」「お店開けられないからお弁当作ってるんだ」飲食店さんは早じまいなのに学校が休みで大変なのに。

でも、皆「もくもくと もくもくと」静かに文句言わず生活しています。皆偉いですね。でもテレビに映る日本の代表は命を守ることが私の使命といいながら「みなさん外出しないでください」とお願い非常事態宣言を出したのに「お願いします」とは言うこときなかけりゃ「名前言っちゃうよ」とは。

居酒屋に酒は出していいが、7時迄お願いなので経営苦しくても助けません。世界に、こんなバカなお願いする政府あるかね、あきれてヘソが茶を沸かすとはこのこと。東京オリンピックに目がくらみ対策・準備を怠った※※達よ後でゆっく責任取っていただきます。

オヤジならこうする「経済対策」
 ■電気ガス水道の請求を止める。
 ■家賃・ローン・税金の支払いを止める。
 ■金がないなら金を貸す。
  支払いは後でゆっくりご相談
無知な浜田屋オヤジひとりごとです


「上を向いて歩こう」
2020年4月16日

昨日、東京のお客様から電話がありました。「周りの人が皆コロナに見えて怖くて怖くて」涙声。俺「感染は20000人に1人ですからそんなに心配しないで」そんなことしか言えない俺です。

新聞記事で人は目線を下から高いところに移すだけで、幸せ度が上昇するのが医学的に証明された。と書いてあった。上を見よう。ただ目線を上に向けるだけ。手もとを見ていませんか。地面を見ていませんか。ただ上を見るだけです。少し気が楽になります。

「あっヒコーキだ」「素敵な空だね」「星がきれいだ」「お月様にウサギが見えた」「ナイスショット」こんな、時気持ちが晴れるよね。心配しすぎて体を壊さないように心がザワザワしたら上を向いてみましょう。手を上げて上を見ながら背伸びしてみましょう。

きっと気持ちが楽になるよ。
♪?上を向いて歩こう、?幸せは雲の上に、?幸せは空の上に?♪
浜田屋オヤジのひとりごとです。ご容赦を


「困ったな コロナ」
 2020年4月7日

ざっと調べてみました。
株式会社コロナさん・コロナ工業さん・コロナ物流さん・喫茶コロナさん・コロナ食堂さん・コロナ電子さん・コロナ製造さん・パブコロナさん・コロナ写真館さん・理容コロナさん

皆さん困っているだろうなぁ。電話が来ても「はいコロナです」と言いづらい。中でも「コロナ食堂」さんの名前見つけた時「どうしているんだろうなぁ」いろいろ想像してしまいます。

コロナ騒ぎになって約2か月今になって医療崩壊防ぐためにホテルを確保。新薬アビガン12月に使用できるように準備始めた。世界中が日本に警告していたのに何故今決めるの?何かが変です。

東京で今年から社会人になった我が息子も、仕事が決まらず仕事探しにもいけず、どうするのだろうと心配しています。「86のばあちゃんいるから帰省しないよ」と言ってきました。心配しても始まりません。皆で戦いましょう。

志村さん天国から応援してください。
♪♪(*^^)v「だいじょうぶだぁー」♪♪
平成の凡人 浜田屋オヤジ記す。

追伸 志村さん本当にありがとうございました。
「だいじょぶだぁ・・・」の言葉大切にします。


「オヤジ、激闘の3ケ月」
 2020年3月25日

行き付けの胃腸科の先生に言われた。先生「胃がやられているピロリ菌だ」「除去しなければならない」「これは戦だぞ」そうだ、酒飲みには過酷な断酒である。しかしオヤジは決意した。オヤジ「よっし、やろう」酒を断ち何錠もの薬を一週間飲み続け、再検査。

先生「だめだ、まだ残っている」「もう一回やるぞ」オヤジ「よし戦だ」心あらたに2回目にのぞんだ。再検査・・・先生「だめだ、まだいる」しかしオヤジはあきらめていなかった。「ここで負けてたまるか、やってやる」3回目の戦いにのぞんだ。

3回目は味方であるはずの保険が使えないことを知った。ショックであったが立ち向った。先生「よくやった 勝ったぞ」ピロリ菌との戦いは3ケ月かかった。あきらめ、やめたら今頃はピロリ菌に征服された俺の胃袋。酒をやめ戦い抜いた3ケ月ついに勝利を手にしたのだ。

こんどはコロナとの闘いだ、やめたら負けである。最後まで戦い抜く気迫を持て。しかし民の者たちは戦い始めて一か月になると油断が見えだした。士気が落ちた。あぶない。「油断大敵」である。アニマル浜口氏の「気合だ」の声が欲しい。

アントニオ猪木氏に「ビンタ」を入れてもらいたい。今、油断する者は負ける。皆の者、今一度気合を入れろ。ワレに続け。エイエイオーの掛け声とともにいざ参るぞ。ここが天下分け目の関ヶ原である。
浜田屋オヤジのひとりごとです。ご容赦を


「3月11日あの日あの時」
 2020年3月11日

9回目の今日がきた。3月11日だけはいつまでたっても過去にならない。2011年3月11日、午後2時46分 私の店にはパートさん3人とお客様2人がいた。その日だけは配達に行かずに店にいた。棚の酒がゴトゴトと動き出した。揺れがどんどん大きくなり止まらない。酒がバチャンガチャンと落ちだした。

棚はまるで嘔吐するかのように物を吐き出しそして倒れた。10分後震える声で家族を確認した。全員無事だ。よかった。海から5キロの店、その時海辺で起きているとてつもない惨事を知らずにいた。海辺にいた友はその光景が脳裏にべったりと張り付いて今でも剥がれない。

私は予想だにせぬ原発の状況から逃げることに必死になってしまった。海辺の情報が入りだしたが誰一人助けにいかず。車に家族を乗せ逃げていた。この時の自分は正しいのかもしれないが、いつまでたっても いつまでたっても。3月11日は過去にはならない。
浜田屋オヤジのひとりごとです。ご容赦を


「爆笑 予算委員会 ボケとつっこみ」
 2020年2月28日

テレビの中で野党は「つっこみ」与党は「ボケ」漫才と変わらないつっこみボケの連続この番組名は「予算委員会」と言う。新しいお笑い番組かもしれない。

しかし「つっこみ」の上げ足取りも取りきれず「ボケ」も本当にボケていて話かみ合わず。これでは子供たちにはとても見せられない下手な政治漫談である。子供たちは「大人の問題ってこうやって逃げればよいのか」そう思うだろう。

私には忘れられない光景がある。15年前 安倍さんの一回目の首相の時ボケきれずに突然降板したのを忘れられない。辞任の時、誰かさんの陰に隠れるように立っていた姿がいまだに脳裏に残っている。いまは年期も重ねて少しは図太くなっている が いつまた番組に穴をあけるのではないかと心配している。

吉田茂さんだったら、小泉さんだったら、角栄さんだったら、どんな大喜利をするのかなぁ、そんな想像してしまいました。グローバルな現代、自己中と先延ばしが危機を招く。背筋を伸ばし凛とし広域的視野を持ちぶれることなく先導していただきたい。
浜田屋オヤジのひとりごとです。ご容赦を


「人間は強いんだぜ」
 2020年2月14日

今日のニュースはウイルスの問題だけで埋まっていますね。テレビやネットはどうしても不安をあおることばかり流す。皆が不安になってしまう。人間って本当はものすごく強いんだ。人間は生まれてからずっと試練の連続だったんだ。

一番つらかったのは生まれる時。母ちゃんもつらいが子供はもっともっと苦しかったはず。頭が変形したり呼吸が止まりそうになったり本当に苦しかったはず。もうそこから試練の連続さ何十年も生きているんだ。誰だって一度くらい一歩間違えれば死んでいた。

そんな経験あるはず。事故ばかりではなく、心が耐えられず潰れて死んでしまいたいと思ったことも何度かはあるはずだ。そんな試練を何度も乗り越えたからいまがある。世の中不安だらけと報道朝から晩まで言うのがいけない。皆不安になってしまう。

いままで何度の乗り越えてきた壁だまた乗り越えれる。自分と人間を信じて元気ににいきましょう。人間は強いんだぜ。
浜田屋オヤジのひとりごとです。ご容赦を


「恐がらず恐れずどっしりと」
 2020年2月4日

テレビをつければ「コロナコロナ」、何人感染 何人死んだと連呼を聞くとさすがに「これは大変なことだ」、のんびり屋のオヤジでさえ心配になってしまうが、いや「なにごとも冷静に」と自分に言い聞かせている。

昔、大成功した経営者だが会社が火事になり資材すべて灰になってしまった。あわてどうしてよいかわからない従業員に「タバコを吸いたい、そこから火を持ってきてくれ」火事場から火を取り一服し言った。「どれ仕事をしますか」「では何をしましょうかね」後にすごい商人になった方です。

何か問題があるたび頭を抱え右往左往し大声を上げ悩み苦しむ、これでは何もよくならない。人生、山あり谷ありは当たり前と思い。どん底に落ちた時こそ、恐がらず恐れずどっしりと構えられる。そんなオヤジになりたいものだ。
浜田屋オヤジのひとりごとです。ご容赦を


「かわいそうな熊さん」
 2020年1月23日

おい、熊さんどうした。春でもないのに起きているか。「冬眠しようとしても暖かくて眠れないよ」「もう木の実もなにもなくて腹が減ってつらいよ」福島で一昨日 アパートの4階踊り場に熊さんがうずくまっていました。かわいそうに体が弱っていて麻酔銃撃ったら死んでしまいました。

山に雪が降らない。湖に氷が張らない。冬眠できない。食べ物ない。各地で雪祭りが中止です。氷の上でのワカサギ釣りもできません。16歳のグレタさんが必死に地球温暖化の危険を訴えています。30年前にはわかっていたんですよね、でももう遅いかも。それでも腰を浮かせぬ先進国。

国が水没しても半年も山火事続いても。それでも動かない先進国。経済の発展が最優先とし、リーダーシップとは経済と軍事とする大バカ者。そうだそうだと追従する大バカ者。熊さんは死ぬ間際に言ってました。俺の冬はもう来ないのかな。俺の仲間も森の仲間もみんな死んじゃうよ。

最後に人間だけが残っているなんてないよ。みんな死んじゃうよ。そう、熊さんは命をかけて人間に抗議に来たんですね。私たちどうしたらよいのでしょう。答えは決まっているのに答えを言えないのが今の人間なんです。「熊さんごめんね」
浜田屋オヤジのひとりごとです。ご容赦を


「福島県の2020年」
 2020年1月7日

昨年を振り返ると台風にめちゃくちゃにやられてしまった感がある。台風19号は日本の史上最大だったことが原因だが、福島県の被害・死者数が飛びぬけて多かったことは大変残念であった。東北大震災・原発事故で自然の驚異避難の大切を一番知っている県民なのだがそれを凌駕してしまった。

人間が自然は勝てない、勝とうとすること自体が間違いなのである。自然にやられてしまった福島県の原発10基すべてが将来廃炉になることが決定している。最近はニュースにもならないが、2019年時点での避難者数は約5万人、いまだに仮設住宅居住が5000名いる。

帰還は多くは望めない。原発の廃炉への道のりは厳しく工程の延期延長がつぎつぎに発表されている。最終汚染水処理も何も決まっていない。そんな中でも常磐線の全線開通の見通しや、相馬市と福島市間の交通整備、東京オリンピック聖火の出発地など明るいニュースがある。

特に復興オリンピックと言った政府には大いに期待したいものだ。人間毎年歳を取る、どんどん歳取って最後には死んでしまう。あたりまえだが自分の為だけに生きているものはそこで終わるが、誰かの為にと生きているもは死んでも終わらない。かならず何かが続いている。

福島県も県民も大きく言えば、日本中全部自分がいなくなった後のことを考えた2020年になってもらいたい。全ては未来の子供たちの為の現在であることを忘れてはいけない。
浜田屋オヤジのひとりごとです。ご容赦を


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※誤字・脱字ご容赦              店主 佐藤哲也


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