- 横浜悠遊
- PART4 みなとみらいの原点と造船所の歴史(〜1985年)
昭和4年にあたる、1929年の横浜船渠(せんきょ)。
現在のみなとみらい2,3丁目で横浜ランドマークタワー周辺。
>PART4 みなとみらいの原点と造船所の歴史(〜1985年)
横浜みなとみらい21は、造船所の跡地を造成してできたウォーターフロント。明治24年に港湾の発展に必要な船渠(ドック)が建設され、横浜船渠(せんきょ)が設立されました。船舶修理用のドックとして3基が建設され、明治29年に2号ドック、32年に1号ドック、43年には日本で初めて全体がコンクリートでつくられた3号ドックが、それぞれ完成しました。
しかし市街地のすぐ近くにある造船所の宿命からか、時代が進むにつれて規模を拡張していくのが困難なものになっていきます。そのため巨大タンカーの建造などが不可能となり、徐々にドックの需要が低下。昭和48年に2号ドックが運用停止したことを最期に、その歴史についに幕が下ろされました。造船所の機能は本牧・金沢地区に移転され、昭和58年に作業が完了。そしていよいよ横浜みなとみらい21のプロジェクトが、本格的に動き始めたのです。造船所時代の3号ドックは埋めたてられたものの、1号ドックは「日本丸メモリアルパーク」として、2号ドックは横浜ランドマークタワーの膝元にある「ドックヤードガーデン」として生まれ変わりました。現在の2号ドックは、プロジェクションマッピングなどのイベントに大活躍。ファンタジックなイベント空間へと変身して、高い人気を博しています。
1985年頃の段階では、まだ大部分が海のままでした。
左の画像と比べると、埋め立てられた土地の広さがよくわかる。