先日、5年振りに京都へ訪れました。京都は、大好きな街のひとつで、近くを通りかかればつい立ち寄ってしまう引力の強い場所。観光地としては有名ですが、それ以上にここにしかないセンスと空気感にいつも癒されて帰ってくるのです。久々に訪れることになり、予てから楽しみにしていたのですが…その週はずっとの雨の予報。歩きやすい季節を選んだのに「雨、嫌だな。」と呟きながら向かうのでした。
中心街から西へバスで1時間程外れた場所に、「鈴虫寺」というお寺があります。正式な名称は「妙徳山 華厳寺(みょうとくざん けごんじ)」。ここは、秋だけでなく、四季を通じて鈴虫の音色を聞く事のできる珍しいお寺。数年前からずっと行きたいと思い続けていたのですが、ようやく足を運ぶことができました。
鈴虫寺の石段を上った鳥居横には、「幸福地蔵さま」が立っています。このお地蔵さんは「ひとつだけ願いを叶えに来てくださる」という幸福地蔵菩薩。誰でも、今叶えたい願い事をひとつだけお願いする事ができます。普通仏様は、皆裸足ですが、「幸福地蔵様」は日本で唯一、わらじを履いています。これは、お地蔵様が私達の所まで願いを叶え、救いの手をさしのべるために、歩いて来てくださるからだそう。このお地蔵様へのお祈りの方法や唱え方は、住職からのお話しを聞く「鈴虫説法」の中で教えて頂けます。ユーモアたっぷりの説法は大変人気でコロナ禍前は3時間待ちも普通だったそう。
一歩足を踏み入れれば、リーンリーン、リーンリーン、リーンリーン、リーンリーン。話すのも躊躇うくらいのサラウンドで鈴虫の音が境内中に響き渡っています。箱に丁寧に飼育された鈴虫達がまるで「いらっしゃい」と言っているかのよう。しばらく座って待っていると住職さんがトコトコとやってきます。
「皆さんよう来てくださいましたね。雨やねぇ…残念やった?雨っていうと、皆さん嫌やなぁって言わはるんです。でもね、雨って先入観なんですよね。人は雨やから嫌って、ついつい決めつけてしまうんですよね。ちょっともったいないですよね。雨の日は、耳を澄ませてください。色んな声が聞こえてきますよ。」
そう口火を切った住職は、30分流れるように喋り続けました。その姿は、落語を聞いているかのように聞きやすく、プロの漫談家も顔負けのユーモアたっぷりで会場を湧かせていました。まさか、説法を聞いて笑い続けるとは思ってもおらず、その要所要所に大切なメッセージをバシッと入れてくる緩急のつけ具合に恐れ入ったのです。
読者の皆さんには是非行って頂きたいので、内容をあまり話しすぎるのはやめておきますが、大切だなぁと感銘した話を一部抜粋してご紹介します。
「この一年間、何があった? どんなことがありましたか?
って言ったら、もう大抵の方がもう苦しいことや辛いことばっかり考えてしまいがちやけれど、
果たしてそればっかりやろうか?違うよね?
だから今日考えよう。
その苦しみってさ、苦しまなければならない苦しみなの?
その不安ってさ、不安がらなければならない不安と言いたいの?」
「心はな、狭いねん。小ちゃいねん。
一個不安が心に入ったら、それで溢れてしまって身動きが取れんようになってしまう。
そうなったら、なーんもできんくなってしまうのが人間なんです。
心にはな、常に「余裕」という隙間の部分を、ちょっとでもいいから持っておいてほしいの。
どうしたら持てるようになるかって?
方法があんねん。
それはね、心の掃除をする事。
普段身の回りの掃除、してますか?
実は心もね、埃が溜まったりゴミが溜まるんですわ。するとね、正常な働きを失ってしもてね、自ら苦しみ悲しみを生みやすくしているの。でも、しっかり掃除さえしとけばね、何が起こったってそれが流れやすーくなるんです。
じゃ、一体どういう掃除をするのかって?
こういう掃除をしよう。
今の自分にとって、いるものは何かな?
そして、いらないものって何かな?って
自分と向き合うという時間をとってほしいの。
なんや、そんなことかいと思った?」
「今の現代人、向き合ってへん。見つめ直してへん。
何でやろうか?
今さ、暇があったら何する?隙があったらどこでも何する?
ほぼ全員が、すぐに、スマホやん。
すぐに情報を集め知識を集め、誰かと繋がろう繋がろうとばっかりしはるわけよ。そんなんをやってたら、いつ向き合えんの?見つめ直せんの?
皆さん、すぐにいらない知識や情報を、間違った解釈や変な変換をしてしもうて、それを苦しみに変え、悲しみに変えてはんねん。
でも、本当にいるものは何なのか?
スマホをちょっと置いて、それをドーンと入れてもうたらな、人生って、これからもっともっと素敵なもんになるの。多少不安があってもすーっと流れていくんですわ。
みんなね、心が乱れちゃってるよ。汚れちゃってんの。
するとね、普段もね、こんな目線やわ。どこに行ってもすぐに不平や不満ばっかり探してしまうの。そして不幸せな事ばっかり見ようとしてはるんや。
ちがう。
皆さん、幸せな事…結構あるよ。あるよ。
1日を通してもね、楽しいこと喜ばれること、ほんまはあんねん。
それにね、気がつこうとしてはらへんだけなの。勿体ない。
今日ここに来られるだけでも幸せ。
朝ご飯食べれました?今日寝るところありますか?」
「皆さん、今日寝る所があるんです。
これは、幸せなんです。
情けないことに、今を生きる日本人、今ある幸せをすぐ気がつきにくくなるわけよ。だから考えてほしいの。
皆さんには既に、幸せなんです。
幸せなことは目の前にあるんです。
今こそ、人間が宝であるということを気がつく時。
それを仏教で禅の言葉では、「明珠在掌(みょうじゅたなごころにあり)」といいます。
大切な宝物の事を、明珠(みょうじゅ)。在掌(たなごころにあり)、すでにそれは手のひらの中にあるんですよという言葉。
明珠在掌。
この言葉、覚えて帰ってくださいね。」
艶のある石畳、緑と茶色のコントラストがぐっと上がった引き締まった景色。葉っぱ全てが水を浴びて活き活きとして見えてくる。「雨の京都って綺麗だ…」歩きながら、脳がダイレクトにそう感じ取っているのが自分でもよくわかります。急いで帰らないとならない訳でもなく、この空気の匂いと鈴虫の音をしばらく堪能する時間が、余白が今ここにある。それだけで充分幸せを感じられる自分は、恵まれているなぁと。ホコリのかかった心が雨で流されて綺麗になっていく、これが心の掃除なんだろうか。
幸運地蔵さまにお願いをしたお守りを手の中に握りしめながら、こう思うのでした。
雨よ、ありがとう。
つづく
和田 健司 オランダDesign Academy EindhovenにてDroog Design ハイス・バッカー氏に師事、コンセプチュアルデザインを学ぶ。 同大学院修士課程修了。大手広告代理店勤務の後、2011年 “what is design?”を理念とする(株)デザインの研究所を設立。研究に基づく新たな気付きを、個人から企業まで様々な顧客に価値として提供し続けるコンセプター。