突然ですが、僕は黒色が大好きです。服も小物も全部かなりの割合で黒を選ぶ事が多い。モードに見えるのと、どこか心が落ち着く感じがして、気づいたら身の回りは全部真っ黒。子供達が描いた僕の絵も、服は必ず黒で塗られています。黒色との付き合いも長いので今更変える気はないですが、唯一カバンの中を探すときに全部真っ黒なので、何がどこにあるかが全くわかりません(笑)。見渡せば漆黒の闇、そこに手を伸ばしゴソゴソしていると「あ、あった。」となるのです。
そんな無類の黒好きの僕でも、最近白に惹かれがちでして。なんだろう…気持ちが明るくなるのを求めてるんでしょうか?全身ホワイト系のコーデをしてみたり、レイヤードで白をチラ見せしてみたり。今期冬は、遂に“安いため買い出すと危険なユニクロ&GU”に手を出してしまいました。気づいたら、もう既に10着くらいが手元に…。(だから今まで遠ざけていたのに…)
ユニクロは本当に危険です。以前、気づいたらクローゼットがユニクロだらけになった事があり、ゴミ袋何個分もの着ない服を捨てて以来、“ユニクロは下着以外は買わない宣言”をしていたのですが、その均衡もついに破られることに(涙)。だって機能も価格もとてつもないスピードで進化しているんですから。久々に袖を通したら…ノックアウトしました。
ただ、数年前とちょっと変わった所がありました。それは「買い方」。以前はメンズしか見なかったのですが今だと“男女兼用”という表記がされている商品がいくつもあり、サイズやデザインもよく考えてあります。売り場でも若い世代のカップルが、同じ服を選んでいるシーンを見かけるようになりました。こんな風に、性別の垣根を越えて服を楽しめる機会が増えたことはとても微笑ましい事ですよね。
最近常々思っている事があります。それは、一昔前に比べて「白黒ハッキリつけたがる」世の中になってしまった事。正しいか間違っているか、ハッキリしないと気が済まなくなっているような気がして。ダメな事はダメなんでしょうが、当人にしかわからないような問題にまで、周りがあれやこれやと○×をつけるようになりました。ちょっとした不祥事でも、人生を終わらせるような出来事のようにニュースで扱ったり。ちょっとやり過ぎじゃないの?と思うのです。
一昔前はもう少し曖昧な事が曖昧なままで良かったり、グレーな事も、いい加減な所も「まぁ、あの人はこうだから」と世の中が許していました。そう考えると、今の人間の頭の中は、どんどん機械的になってきてはいませんか?まるで、全知全能のAIを目標にしているかのようにも思えてきます。動物からロボットへ一本の線を引くならば、確実にロボット側へ一歩づつ近づいている実感があります。そもそも、人間ってどこを目指して進化しているんでしょうね。
先日宿泊したホテルの部屋でのこと。煌々と明るい部屋の照明を少し暗くしようと思い、スイッチを押した所、部屋が真っ暗になってしまいました。なんとか良い感じの明るさにしようと調整してもダメ。とっても明るいか、ほぼ真っ暗のどちらにしかなりません。ここは調光式にするべきだよなぁ…と心の中で嘆きをいれつつ過ごす事に。
心をリラックスさせ、居心地を良くするためには、明るすぎる空間は向いていません。それと同じで、人間らしくあるためには、オンかオフか白か黒かじゃなく、もっとグレーで良くて、いい加減な所や悪い所もたくさんあっていいんじゃないか?と個人的には思うのです。そういう部分も全部、ありのままを周りに見せていく。なんかその方が味わいがあって、いいじゃないですか。僕も心を調光できるようになりたいものです。
つづく
和田 健司 オランダDesign Academy EindhovenにてDroog Design ハイス・バッカー氏に師事、コンセプチュアルデザインを学ぶ。 同大学院修士課程修了。大手広告代理店勤務の後、2011年 “what is design?”を理念とする(株)デザインの研究所を設立。研究に基づく新たな気付きを、個人から企業まで様々な顧客に価値として提供し続けるコンセプター。