少し前に会食をしました。やっぱりプロの腕は違いますねぇ・・と舌鼓を打ちながら楽しい時間が経過する。「これだよこれ。」以前と同じ感覚で楽しめると思っていました・・・思っていたけれど何かが違う。きちんと味を堪能できていない自分がそこにいたのです。言い表しにくい、ピンと張り詰めた空気が店内に充満している。美味しいのには間違いないのに、いつもとは違う”何か”に邪魔をされているようなのです。
テイクアウトが過熱しています。有名店がフードトラックを展開したり、店舗を持たないゴーストキッチンができたり、この1年で飲食業界が急速に変わってきていることはニュースなどでもご存知かと思います。「苦しい飲食業界」、一刻も早い回復を望むのには変わりはないのですが悲観することばかりではないかもしれません。
例えば、テイクアウトでは絶対食べられないような人気店や高級店の料理を自宅にいながら楽しめるようになりました。繁華街のオシャレなダイニングの料理を片手に、小さな子どもに絵本の読み聞かせをしたり。あるいは普段からお世話になっている方へ、できたての料理を贈ったりすることもできるかもしれません。今までは缶詰やお米など保存食品などが多かったフードギフトも、これからは「父の日に名店のフルコースを届けよう!」なんていう新しいギフトの形が生まれる気配がします。
もうひとつ気づいたのは、メディアや情報に踊らされることなく、自分の価値観でお店を選び、集中して料理と対面ができるようになったことです。行列店をテレビで放映し、さらに行列を作るようなメディア戦略は見なくなり、気になったお店を自分の目で選んで食べるようになりました。一蘭というラーメン店に「味集中カウンター」というのがありますが、イートインでもテイクアウトでも、以前に増して料理と一対一で集中して味わうようになった気がしています。今は感染対策で導入されるアクリル板ですが、今後は少しづつ色や質感が加えられたり、それ自体がディスプレイになったりと、味を集中して楽しむためのツールへと進化するかもしれませんね。
生産地の風景や料理のストーリーを見たり、友人と会話をしながら今、これだけ飲食業界の変化が注目を浴びているということは、近い将来飛躍的な進化を遂げる前兆を意味しているのでしょう。コンテンツディレクターの若林恵氏は雑誌 料理王国のインタビューでこう答えています。
インターネットによって音楽がどう変わったかって、配信サービスで音楽が聴けるようになったことじゃないですよね。みんな自分で音楽を作れるようになったことが最大の変化だと思います。それをラジカルに進めているのが「TikTok」だけれど、もはやそこには音楽の作り手と聴き手が二項として成立していない。みんなが作り手であり、聴き手だから。で、食の世界で考えると、作る人と食べる人が存在するのがキッチンですよね。そこは、消費空間であると同時に生産空間でもあるから、その二つがセットで動いていることが、これからの都市のマネジメントにおいて、すごく重要だと思います。今まで飲食業界は、生産する側(料理する人)にお金を払って、経済を回していくというモデルでした。でも、それが立ち行かないのであれば、人を集められるデベロッパーは、お店をインキュベーション施設として機能させることを考えたり、飲食を提供する側は、家での料理は食べることより料理することがエンターテインメントだよねという前提でサービスを考えたりしないとっていう話なんですよね。もし作った料理を自分ひとりで食べるのがつまらなければ、それをデリバリーにのせて、他の人に食べてもらおうという話の方が楽しいんですよ。 (料理王国6・7月合併号緊急特集「コロナ時代の食の世界で新しい「ものさし」を探しに。」から抜粋)
調理や盛り付けにもSTIIKを使う、友人の出張料理人ソウダルア氏「食べる」と「作る」のフラット化が加速すると氏は言います。確かに、最近「アレンジ」や「レシピ」「○○○メーカー」という言葉を頻繁に目にするようになりました。提供されたものをそのまま消費するだけでなく、加工したり誰かと共有したり「作る」要素の敷居がどんどん下がっているお陰で、楽しみ方はどんどん多様化しています。きっとこの先アレンジ全体の商品というのも出てくるかもしれませんね。「日清 なんか一味足らないカップヌードル」とか。
「食べること」が食べるだけじゃなくなってきているのです。これは高解像度な舌を持つ日本人が、色々な体験を通して料理を口に運ぶだけでは得られない価値や喜びを得たいと本能的に思っているからではないでしょうか。更に食に誇りを持ちたいと学ぶ日本人。世界で一番食べ・食べられる国へ。そういう意味では今この瞬間は過渡期なのかもしれません。
どれだけアクリル板を立ててもその先を見ようとする視界は曇らない。苦しい時を乗り越えた先には想像を超える明るい未来が待っていると僕達はわかっているのです。それを裏付けるように今、「世の中の本質化」がどんどん起きています。食べることだけでなく、仕事をすることも、遊び方、友達付き合いも、学ぶこと、子どもを育てることも、住む場所も、何もかも全部。
仕事をするというのは出社をすることではなく、
友情というのは群れることではなく、
教育というのは教わる場所を探すことではなく、
食べるというのは美味しくお腹を満たすことだけではない。
それぞれの分野のできる限り出せるスピードで「その本質って一体何だろう?」と問い続けています。崩れる所は崩れ、変える所は変え、新たに生まれる物を大切にしていくのでしょう。
急激な時代の変化は一歩後ろに下がって見つめれば、また違う景色に見える。それに気づけるだけでも素晴らしいのかもしれません。
Season3「食べること」終わり
和田 健司 オランダDesign Academy EindhovenにてDroog Design ハイス・バッカー氏に師事、コンセプチュアルデザインを学ぶ。 同大学院修士課程修了。大手広告代理店勤務の後、2011年 “what is design?”を理念とする(株)デザインの研究所を設立。研究に基づく新たな気付きを、個人から企業まで様々な顧客に価値として提供し続けるコンセプター。