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初の辛口シャンパーニュ(「ブリュット・ナチュール」)の 伝統を受け継ぐ、ブリュットの定番。

ポメリー社の偉業は、それまで甘口が主流であったシャンパーニュに初めて、食前酒として楽しめる辛口(ブリュット)の味を造り出したことです。 このブリュット・ナチュールの出現により、英国におけるシャンパーニュ消費量は、一気に3倍にも跳ね上がったと言われ、19世紀末までにはヨーロッパ全土で愛飲されるようになりました。ブリュット・ナチュールは、現在のポメリー・ブリュット・ロワイヤルの源流であり、ポメリー社は現在主流となっている辛口シャンパーニュのスタイルを確立した先駆者と言えます。

厳しい基準に基づいた、シャンパーニュならではの製法

シャンパーニュと呼ぶことができるのは、フランス・シャンパーニュ地方のわずか30,000ヘクタールのブドウ畑で栽培されたブドウから造られたワインだけ。シャンパーニュで使用できるブドウ品種は、黒ブドウのピノ・ノワール品種とピノ・ムニエ品種、白ぶどうのシャルドネ品種の3種類のみ。この3種類のブドウを調合(アッサンブラージュ)し、シャンパーニュ・メソッドにより、糖分と酵母を加えて瓶内で二次発酵させて炭酸ガスを発生させます。

歴史

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■ブリュット(辛口)を確立した先駆者■

ポメリー社はシャンパーニュの優れた産地であるランス市に1836年創立されました。 当時「シャンパンと言えば甘口」という常識を覆して、ポメリー夫人が史上初の辛口シャンパン(ブリュット)を発表しました。その後、 1890年には200万本以上のシャンパンを出荷するまでの規模に成長しました。


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■芸術を愛し、ポメリーを大きく発展させたマダム・ポメリー■

ポメリー社は、1836年、ナルシノ・グレノによりシャンパーニュ地方の中心都市であるランスに設立され、1856年にルイ・アレクサンドル・ポメリーの参加によりポメリー・エ・グレノ社となりますが、2年後不幸にもルイが亡くなってしまいます。経営を引き継いだマダム・ポメリーは辛口シャンパーニュを発表し、1890年には200万本以上のシャンパーニュを出荷し、ポメリー社をシャンパーニュ最大の醸造元へと成長させたのです。ポメリー社はシャンパーニュの優れた産地であるランス市に1836年創立されました。 シャンパーニュを造ることは芸術を作ることである“と言う言葉が、マダム・ポメリーのポリシーでした。その精神は現在も引き継がれ、ワイナリーは庭園のように常に手入れが行き届き、多くの見学者が訪れています。また、社屋の中心となるシャトー・レクイエールは、優雅なゴシック建築であり、巨大な地下セラーには、エミール・ガレによって制作された大樽などが展示されています


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■ルミュアージュ(動瓶)をするピュピトゥル■

板に下向きに穴を空けたピュピトゥルにシャンパンを瓶口をしたにして挿し、1ヶ月半から3ヶ月かけて人手により瓶を少しずつ回転させ、オリを瓶口に集める作業をします。
毎年世界中から9万人もの見学者が訪れ、 各国の要人も多く訪問しています。
日本からは皇太子も訪れています。


厳選された自社畑から生み出されるポメリー

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■ポメリーの多くが、グラン・クリュの質の高いブドウから造られています■

ポメリーの畑の構成は、グラン・クリュ50%、プルミエ・クリュ25%、クリュ25%とグラン・クリュの使用率が高いです。


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■グラン・クリュの最良のブドウからのみ造られる「キュヴェ・ルイーズ」■

グラン・クリュにて最良のブドウが収穫できた年にのみ造られる、ポメリー社最高傑作のシャンパーニュです。熟成期間は5年から7年で、「ルイーズ」を造るか否かは、ブドウを収穫する前に畑をまわって決められます。また造られたとしても、最後の試飲で市場に出さない場合もあるほど、その品質が極められた、まさに誇り高き珠玉のシャンパーニュなのです。


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■ローマ時代の石灰岩採掘場を利用した素晴らしいセラー■

マダム・ポメリーは、ローマ時代の石灰岩の採掘場がとても良い状態で残っていることを知り、またそこがシャンパーニュを貯蔵するのに理想的な環境であることも熟知していたので、その採掘場をセラーとして使用することにしました。全長18km、深さが地下30mにまで達するセラーでは、年間を通じて10℃という瓶内熟成において理想的な温度の中で2,900万本ものシャンパーニュが貯蔵されています。


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■卓越したセラーマスターによるポメリースタイルの継承■

ポメリーのセラーマスターであるティエリー・ガスコ氏は、フランス国家醸造士のディプロマを保有しており、2001年からはフランス醸造士協会の副会長も務めています。1992年にポメリーに来て以来、彼は持てるテクニックと情熱をシャンパーニュ造りに注ぎ、2001年には最高醸造責任者に就任。その数ヶ月後にはフィガロ紙においてマン・オブ・ザ・イヤーにも選ばれています。現在もポメリーのすべてのキュヴェの管理と開発に携わり、多くの功績をあげています。