心を豊かにする男
ここに、鉄でできたクマがある。否、クマがいる。黒いクマは、ひょいと立ち上がり、本や扉を両の手で押している。
大谷喜作商店のアメリカ進出のきっかけとなった「アイアンストッパー クマ」。鋳鉄の重々しさがありながら、独特の愛らしい存在感を放つこの商品が、大谷のお気に入りだ。
「鉄鋳物の魅力があふれてますよね。実はこれ、昔からあったものなんですけど、ニューヨークで脚光を浴びてくれたんですよ」なんでもやってみるものです、と彼は笑う。
音楽好きの喫茶店店主が、海を越えて、受け継いだ家業を花開かせている。
使う人々の身近で、そっと見守っているような存在になって欲しい・・・手がける品々に、そんな願いを込めながら。
工芸品は、人の心を豊かにするためのものだ。
そして、本来人の心には和洋の区別など、ない。
だからこそ、和やかな店内で珈琲を淹れ、ギターを奏でる大谷の両の手は、熱と砂を前にしたとき、職人のそれに変貌する。
気を抜かず、
向き合う瞬間を積み重ねる
仲間たちと共に、知力と体力を駆使しながら、大谷は鋳造に心血を注ぐ日々を送る。
しかし、それだけではない。
デザイン、原型製作、プレート製作があっての鋳造作業だ。
そして、鋳造のあとには仕上げ、着色、パッケージングが待つ。
一連の流れで、気を抜けるところは、「ない」。機械がつくる大量生産品ではないのだ。故に、人の心に訴える。
「失敗はありますよ。でも手間を覚悟で、しっかりと向き合えたときには、いいものが出来ています」
そんな中で、ふいに、時代に応じた実用性の斬新な発見が起こる。
置物の本来の性質にこだわりたい気持ちもある大谷の手の中で、置物、そして鋳物の可能性が、まさしく海を越えるかのように広がっていく。
そこにはよきものを知り、よきものを生む人間ならではの醍醐味がある。
努力は不断、挑戦は日常
伝統工芸は、最初からそう呼ばれていたものではない。先人が、その生きる時代に向き合いつつ築いてきたものだ。
研鑽が、次の代の研鑽につながる。世代を越えて途切れることのない努力。その果てに、伝統が形をなしていく。
伝統の守り手は、新たな表現と技法にも眼差しを向ける。そうでなければ、伝統は、伝統ではなくなる。
「作品の可能性を限定しないこと、そして、そのためのノウハウを構築すること」に、大谷は挑み続ける。
工芸品の製作、そして販売を担うことで培ってきたその目は、曇ることを知らない。
挑戦とは、常に一大決心を要するものではなく、日常の構成要素の一つに過ぎないからだ。
そんな心意気の持ち主だからこそ、彼が手がけたもの、あるいは彼が選び抜いたものは、アメリカの展示会で喝采を受けることが出来るのだ。
守りながら、
攻め切り拓く未来
高岡銅器協同組合が立ち上げた新ブランド「OMOSI(オモシ)」。
大谷はそこで、専務理事を担う。それにとどまらず、彼は「メイドイン高岡」へのこだわりを行動で示し続ける。
その行動の一環として、後継者不足となった鋳造所の事業を継承し、鉄鋳物を砂型で鋳込む生型製造の道を、この地に残す挑戦がもう始まっている。
灼熱が空気をたぎらせ、土砂が舞い降り注ぐ中でも、大谷はやはり、今ここにはないものをはっきりと視界にとらえている。
「この鋳物工場を安定化させたあとは、若い世代が就きたくなる場所にしたいんです。産業観光分野にも挑みますよ」
最終的には、次世代が引き継げる高岡鉄器の確立を目指す、という。
心を豊かにする男は、まだ見ぬ人々の心も豊かにしていく。
そのために、行動し続ける。攻め続ける。そんな大谷だからこそ、多くの人々が集う。
高岡の伝統を守らんとする彼には支援や激励が絶えない。
「苦労はあります。でも、藤田君をはじめ、多くの人のお気持ちが本当に嬉しいです。心が温まりますよね・・・」
そう語ったときの彼は、午後のひと時に馴染みの客にそっと珈琲を差し出す、優しい店主の面影を宿していた。
高岡市 金屋町
大谷喜作商店に程近く、千本格子づくりの家々と、石畳が美しい、高岡市金屋町。
ここは、2012年に鋳物師町として、全国初の国の重要伝統的建造物保存地区に選定されました。
ここで鋳物産業が栄えたきっかけは、400年以上前、加賀藩藩主前田利長が、城下町の繁栄のために領内より七名の鋳物師(鋳物師七人衆)を呼び寄せたことです。
そこから鋳物場が開設され、多くの特権を与えられ保護されたため、高岡鋳物の数々が生み出される発祥の地となったのです。
高岡市 有礒正八幡神社
近隣にある有礒正八幡宮(ありそしょうはちまんぐう)は美しい境内が人気を集めるフォトスポットです。
この神社は、金屋町の安寧と鋳物をはじめとする金属産業の発展を祈る「ふいご恵比寿講祭」があるなど、鋳物との関わりが深いことで知られています。
鋳造工程
※一般的な鋳物の工程です。職人や、作品によってこの手法・手順等が異なる場合があります。
01
造形
基礎となる「鋳型」を作成する。基本的には上型、下型、中子(なかご)型を用意するが、特に中子型は空洞となる部分を形成する重要な型である。
これを安定した配置にし、空洞を正常につくる際は、洗練された技術を要する。
02
金吹き・溶解
鋳型に流すための金属(溶湯)を溶かしていく。流す金属に炭素などを入れる成分調整、温度調整が成否を決める。灼熱との格闘が求められる重要工程。
03
金吹き・鋳込
溶湯を型に流す前に、耐火・耐熱にすぐれた取鍋(とりなべ)に移す。それから、土を敷き詰めた地面に配置した鋳型一つ一つに丁寧に流し込んでいく。溶湯はそれぞれの鋳型の空洞に入なければならず、流し込む(注湯)の速度や加減にも高い技術を要する。
04
金吹き・後処理
鋳型に流した溶湯が時間をおいて固まると、地面においた鋳型を掘り返すようにして取り出していく。取り出したものには、余分なモノや土・砂が付着しており、これを工具で丹念に除去していく。
05
仕上げ
各製品の検査を行う。サイズや、空洞の出来、外観などを職人の基準を基に調べる。これが完了すると、製品に応じた塗装を一個一個行う。