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ファーストビュー画像しろがね屋裕翠工房写真

しろがね屋裕翠

中山 裕翠

yusuinakayama

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Profile

本名 中山裕晃 1966年富山県小矢部市生まれ
富山県立高岡工芸高等学校工芸科に在籍時に授業として金工に出会う。
同校卒業後、市内の金属加工会社に勤務。地金の溶解から、出荷まで商品が出来るほぼすべての工程を経験。40歳の時に「しろがね屋裕翠」として独立、現在に至る。

中山 裕晃

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山の自然の息吹さえ感じられるような、穏やかで、閑静な住宅街の一角にその工房がある。
「しろがね屋裕翠」
何気に歩を進めていくうちに、ガラス戸にはっきりと描かれたそんな白い文字が、ふと飛び込んでくる。他に伝わる情報はない。特別な主張など、感じられない。
ガラス戸の向こう、決して広くないはずの空間に何があるのか、初めてそれを目にする人は決して知りえない。
だが、ここの主と馴染みある者は理解している。
戸一枚を隔てたそこには、「知と技の奔流」が存在していることを。

しろがね屋裕翠窓画像

中山は職人である。伝統工芸士である。
しかし、およそ多くの人が心に思い描くような激しい職人気質は、彼からはまるで感じられない。
その穏やかな笑みとたたずまいから、自らを含める数多の職人が積み重ねた絶え間ない修練の歴史を想像するのは、無理というものだ。
「もともと若いころは陶芸家を目指していたんです。高岡工芸高等学校の工芸科に入学して、陶芸部で3年過ごしたんですが、そこで、どんなに頑張っても一つ下の素晴らしい才能を持つ後輩にかなわない、と悟ってしまったんですね。その他の事情もあり、陶芸の道を諦めざるを得なかったんですが、残っていた道がありました。それが、金工だったんです」
若き日の挫折をそう語る。今だから、語れるのかもしれない。

制作する姿

「高岡は鋳物のまちでしたが、当時のその学校では鋳造を行う設備がなく、金工となると、もっぱら鍛金の勉強でした。とにかく、鍛金でやっていこう!と決め、職業選択においても鍛金を活かせる会社にしました。そこで懸命に頑張ってきました。でも、長く務めているうちに、会社のモノづくりと自分のモノづくりの方向性にズレを感じたんです」
会社に残り、引継ぎ、従業員たちの重い責任を持ち続けることが、当時の中山には想像できなくなっていた。転機だった。
40歳で、独立した。

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しろがね屋
中山 裕翠

制作する姿

自身が思うままに、銀や銅に、その技法を繰り出し続ける日々が始まった。鍛金、彫金、象嵌、打ち出しといったあらゆる技と、今なお培い続けるその知恵が、中山でしかなしえないモノづくりを次々と実現していく。
「苦しいことも多くありましたが、自分の好きなことに没頭できるのが本当に素晴らしかった。実際、この世界はすべての作業工程に楽しさと苦しさが同居していますが、自分のデザインしたものが形となって完成する過程、これやっぱり楽しくてならないんです。まあ、今思うと、もうちょっと早く独立しても良かったかもしれませんね」
破顔一笑。

打ち出し技法見本

人生を充実させるのは、覚悟、決断と実行力。 自らは決して大きなことを言わない中山から、そんなことを感じずにはいられない。
その作品には、信念を込めている。売れる作品にはメッセージやストーリーが必要と解している中山は、どんな信念を込めているのか。
「金属で、こんなことも出来るんだ、という想いを込めています。本来、金工では使われないような技術を、いかにして金属で用いるか。それについては日々強くアンテナを張っています。美術品、工芸品、量産品、もう世の中すべてのモノですね。目にして、時には触れて、なんでこの形なのか、なんでこんな大きさなのか、分析し続けます。そうすることで、すぐに必要ではなくても、必要になったときには頭の引き出しからぶわっ、とアイデアやひらめきが出てきますからね」

鍛錬と伝承

制作する姿

中山の仕事場には様々なものがある。
見たことのある道具、見たことのない道具、つくりかけのモノ、直しかけのモノ。
二人の人間が作業するだけの部屋だが、手狭とさえ感じさせる。
しかし、そこにあるモノには、すべて、意味がある。
「彫金、打ち出し用の鏨(タガネ)は全て、私が自分で制作します。それに、彫金用の金槌の柄ですね、これも材料となる竹を自分で加工して、とにかく自分の手に馴染むよう、バランスを考えて調整します。他には、師匠から受け継いだ鏨もあるのですが、これは私の宝物ですし、どのようにこれを生かしてモノづくりを出来るか・・というとても楽しい悩みもあります」

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選りすぐりの道具たちを相棒にし、様々な工程を丁寧に進める中山。
金属をなまし(焼きなます※)、鍛え、磨く。それを繰り返す。
ただ繰り返すのではない。
中山は、その手で、金属のその瞬間の状態を見極める。
その都度、手先、指先が高精度のセンサーとなる。
そしてまたその手が指が、金属を作品に昇華させるべく、緻密な行動を開始するのだ。
長年の勘。
どうにも言語化しようのない感度と決断の連続は、熟練を要する。
そのアイデアとイメージから、自分の思うモノづくりを具現化していく中山の手は、まさしく職人の手であり、心血を注いで仕上げた作品を超えるかのようなメッセージとストーリーを彷彿させる。
小さな金属に細やかな技法を繰り出その手元では、高密度な空間が形成されているのだ。

制作する姿

「師匠から受け継いだ私の技術は、私の想いや経験も踏まえて変化しています。弟子にも私が受け継いだ技術は伝えていきますが、それが100%正しいわけではないのです。受け継いだ人が考え抜いて、時代に合ったより良いかたちに進化、深化させてゆくこと。これが必要です。長い目で見たとき、それが技術の発展ということに繋がるんじゃないでしょうか」
※焼き鈍す・・・金属の軟化のために熱してから、冷却する作業

作品が並ぶ画像

天職

制作する姿

説明して、やって見せて、させてみる。技術や知識を伝えるということは、これに尽きると中山は云う。
「その上で、充分話をして弟子に考える時間を作るようにします。私が見たものや知ったことは、その都度話しているんです。図を描いたり、写真も交えて説明し、伝統工芸のテレビ番組があれば録画して、見る時間を設けます。弟子とたくさん話をして、お互いの意見を戦わせて、より良い方向性を見つけて一緒に取り組んでいくことで、私の知識と経験が伝わると考えていますし、そこにおいて私も弟子から刺激を受けています」

制作する姿

モノづくりは、人づくりにつながる。
高岡の伝統工芸の未来を、中山はいかように描いているのか。
「私より上の世代には、伝統という名の古い考えに束縛された方がまだおられます。私より下の世代には、私では思いつかないようなアイデアで、高岡の伝統工芸を世に広めようとしている人たちがいます。上の世代と下の世代の懸け橋になることで、昔ながらの良いことも悪いことも改善していけるんじゃないかと考えます。それが高岡の伝統工芸の未来につながると、信じています」
そう語る中山に、想いの強さを感じる。しかし、悲壮感はない。ほど遠いとさえ、言える。

制作する姿

「知力と技術をつぎ込んで製作しても、満足のいく仕事にならなかったときには、とことん考え、立ち止まり、次に同じ間違いをしないよう、もっともっと質の高い仕事になるようにしよう、と思い悩みます。ただ、それでも私は苦労、というものをあまり感じないように、考えすぎないようにしてきました。
それぞれの仕事の途中に、色々な生みの苦しみや辛さはありますが、喉元過ぎれば何とか、で楽天的に考えるのです」
伝統工芸士の道を選んだことについて、中山に後悔はない。これを天職と思い、誇りにしている。
「でも、サラリーマンや公務員じゃなく、斜陽産業とも言える伝統工芸の職人をやるってことについては、周りの人には、なかなか理解してもらえなかったんですよ」
それが、一番の苦労でしたね。 そう言って、彼はまた穏やかに微笑んだ。

髙田 裕蒼

高田裕蒼作品画像1

Profile

平成27年中山裕翠に弟子入り。現在彫金、鍛金の修行中。
高田裕蒼作品画像2 高田裕蒼作品画像3

鍛金

職人の手によって、金属を熱し、打ち延ばし、形状を変える製造工程です。基本的に、まず、原料となる金属を選択し、それをバーナーなどで高温に熱し、急冷します(焼きなまし)。加えてさらに同時に、ハンマー等の道具で打つことで金属の分子構造を変化させ、強度や硬度を向上させます。この作業は、職人の瞬時の判断により、材質等に応じて繰り返されます。さらに、研磨、着色といった工程を加えて、最終的な作品を完成させるのです。

彫金

彫金は、金属の表面に模様や装飾を彫り込む技術です。まず、金属(銅、銀、アルミ等)の表面を繰り返し研磨し、平らに整えます。この際は機械ややすりを用いますが、この時点で、職人の練度の高さと判断が重要です。それから理想のデザインを実現すべく、鏨(たがね)等を駆使し、精密な作業で金属を切り削り、形成を進めます。その後、さらに仕上げとして研磨や化学的処理による着色を施し、仕上がりの美しさを際立たせるのです。