工房天祥の雛人形

歴史ある岩槻雛人形と当工房

歴史ある岩槻雛人形と当工房。
大切な時を大切な思い出になるよう、お届けします。

雛人形を届ける

雛人形を届ける

三月三日(桃の節句)は、女性のお祝いの日・お祭りの日です。
その昔、人形(ひとがた)と言って、草木や紙で作った人の形のものを、自分の災厄をうつして海や川に流すお祓いの行事がありました。
のちに「ひいな遊び」となり、現代のひな人形を飾って「健やかに心優しい女性に育ちますように。」と女児の幸せを願う、日本の美しい伝統行事ひな祭りとなりました。
時代の流れによって多種多様なひな人形が生み出されていますが、当店では素材選びから仕上げの工程において、細部に至るまでの一つ一つ丁寧にこだわって製作をしております。
「永く飾りたいひな人形」「毎年、飾りたくなるひな人形」をテーマに、皆さまの大切な時を大切な思い出になるよう、ひな人形をお届けさせて頂きます。

皆さまの大切な時を大切な思い出になるよう、ひな人形をお届けさせて頂きます

岩槻雛人形について

  • 「岩槻人形」という文化が始まったのには諸説あり、記録等がないので特定が難しいそうですが、そのなかで、現在伝えられているのは、工匠たちがこの地・岩槻に住み着いたことが始まりらしいと言われております。
    今から400年以上も前、日光東照宮造営のために宮大工が諸国から召寄せられました。やがて殿堂が竣工落成し、大工たちはそれぞれ国に帰りましたが、なかには日光や日光街道のどこそかに留まって永住した者もいたといいます。
    岩槻にもそのような工匠が住み着き、雛人形の頭(かしら)を作ることを生業にし始めました。

    岩槻に人形産業が発生し発展したのは、良質の水があるということ、頭の材料である桐粉が、岩槻、春日部地域の箪笥作りにより多量に発生したことにより、材料が入手しやすかったという地理的な要因にあるようです。
    それと同時に、お人形作りの職人だけでなく、お人形作りに関わる人々によって、岩槻は人形の町と呼ばれるまでになりました。
    お人形のお着物の生地の販売店や、その生地を裁断し加工する職人。そして、雛人形や五月人形、持つ小道具や小物類づくり、お人形を入れる桐箱に至るまで製作する職人が、岩槻城を中心に周辺に住み、発展していきました。
    また、岩槻城の武士浪人も、お人形作り関係で生計をたてる者のもいたという話もあります。

  • 阿部家岩槻在城(1623〜1681年)
    阿部家岩槻在城(1623〜1681年)
  • 1830年代の文献からは、岩槻宿で人形に携わる人が居住していたこと、神社への奉納や雛人形販売の一端を知ることができ、その後も日光御成道ほか各地の市で岩槻の雛人形が大盛況だと伝えられています。

    時代は変わり、大正12年、関東大震災で東京の人形師たちが岩槻に疎開してきました。彼らは岩槻の職人に技術を伝授し、岩槻の職人の技術は大きく進歩しました。
    それまで、東京の職人が作るものは上等品、岩槻の職人のものは東京にはかなわないと言われていましたが、腕を上げた岩槻職人の作る人形は、一級品として広く認知されたのです。

    以降、都内や海外のデパート販売や品評会への出品など新しい試みにチャレンジするなど、時代の変遷のなか、妥協のない職人たちの人形作りが確固たる「岩槻人形」というブランドのもと、製作を続けています。

  • 岩槻雛人形
    岩槻雛人形

「岩槻人形」という文化が始まったのには諸説あり、記録等がないので特定が難しいそうですが、そのなかで、現在伝えられているのは、工匠たちがこの地・岩槻に住み着いたことが始まりらしいと言われております。
今から400年以上も前、日光東照宮造営のために宮大工が諸国から召寄せられました。やがて殿堂が竣工落成し、大工たちはそれぞれ国に帰りましたが、なかには日光や日光街道のどこそかに留まって永住した者もいたといいます。
岩槻にもそのような工匠が住み着き、雛人形の頭(かしら)を作ることを生業にし始めました。

阿部家岩槻在城(1623〜1681年
阿部家岩槻在城(1623〜1681年)

岩槻に人形産業が発生し発展したのは、良質の水があるということ、頭の材料である桐粉が、岩槻、春日部地域の箪笥作りにより多量に発生したことにより、材料が入手しやすかったという地理的な要因にあるようです。
それと同時に、お人形作りの職人だけでなく、お人形作りに関わる人々によって、岩槻は人形の町と呼ばれるまでになりました。
お人形のお着物の生地の販売店や、その生地を裁断し加工する職人。そして、雛人形や五月人形、持つ小道具や小物類づくり、お人形を入れる桐箱に至るまで製作する職人が、岩槻城を中心に周辺に住み、発展していきました。
また、岩槻城の武士浪人も、お人形作り関係で生計をたてる者のもいたという話もあります。

岩槻雛人形
岩槻雛人形

1830年代の文献からは、岩槻宿で人形に携わる人が居住していたこと、神社への奉納や雛人形販売の一端を知ることができ、その後も日光御成道ほか各地の市で岩槻の雛人形が大盛況だと伝えられています。

時代は変わり、大正12年、関東大震災で東京の人形師たちが岩槻に疎開してきました。彼らは岩槻の職人に技術を伝授し、岩槻の職人の技術は大きく進歩しました。
それまで、東京の職人が作るものは上等品、岩槻の職人のものは東京にはかなわないと言われていましたが、腕を上げた岩槻職人の作る人形は、一級品として広く認知されたのです。

以降、都内や海外のデパート販売や品評会への出品など新しい試みにチャレンジするなど、時代の変遷のなか、妥協のない職人たちの人形作りが確固たる「岩槻人形」というブランドのもと、製作を続けています。

数々の受賞歴

内閣総理大臣賞、通産大臣賞、多数の皇室ご献上実績、瑞寳單光章受賞の匠・クリエイター推奨、埼玉県知事認定経営革新認定企業など、他にも数々の賞を受賞しております。

数々の受賞歴 数々の受賞歴
他にも数々の賞を受賞しております。 他にも数々の賞を受賞しております。

内閣総理大臣賞、通産大臣賞、多数の皇室ご献上実績、瑞寳單光章受賞の匠・クリエイター推奨、埼玉県知事認定経営革新認定企業など、他にも数々の賞を受賞しております。

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