それぞれの10年

2021年3月11日。

東日本大震災から丸10年という月日が経ちます。
あのときの体験を、決して無駄にしてはいけない。
わたしたちは、あのときの経験を“未来の安全”へ、少しずつでも、必ず繋げていかなければなりません。

防災館を運営する相日防災株式会社は、神奈川県の小田原市にあります。
スタッフも大体が小田原市在住です。東北に比べたらずっと被害は少なかったでしょう。
それでも、家の中のものが散乱したり、計画停電はもちろん、電車や高速道路が止まったり・・・
とても普段どおりの生活はできませんでした。

あの時から、わたしたちは心に何を準備しているのか。
防災館スタッフに、3.11を契機に始めた(芽生えた)ちょっとした身近な防災意識を教えてもらいました。
ひとりひとりの小さな意識が、大きな防波堤になりますように。


※画像は2021年3月撮影 陸前高田市・南三陸町現地視察時 当店スタッフ撮影

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    家族に伝える大切さ

    (40代・男性)
    今、この時間、この場所で、地震が起きたらどうするかを考えるようになった。3日間の食料・トイレの準備だけでなく、防災で得た知識、情報を定期的(月1程度)に家族に伝えるようになった。安否確認の方法など家族内のルールも決めた。家族が増えたので、地震が起きたらまずどうするか、自分自身で3日間生き延びるということを子供に少しづつ話をしている。
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    10年前とは違う

    (40代・女性)
    10年前、計画停電下で暗闇の中シャワーを浴びたり、ガスコンロでお鍋を食べたりしました。それでも当時は夫婦2人暮らしでしたので、今思えばさして問題はありませんでした。今は小さい子供がおり、同じことが起きたらどう対処しようか考えることが多くなりました。乳児のときはミルク用の水を常に備蓄するようにし、今も子供のレトルト食やおむつを多めに備蓄しています。
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    ガソリンの大事さを痛感

    (40代・女性)
    震災後、あらゆる物流が麻痺しました。ガソリンもその一つで、開いているガソリンスタンドの情報が入り急いでいくと、スタンドの前は長蛇の列になっていました。あの時以来、ガソリンは半分になったら補給をするようにしています。計画停電の経験から明かりがないと不安になることを痛感しました。ベッドには懐中電灯を置き、定期的に電池の確認をしています。また、外にすぐ出ることができるように、寝る前には着替えとスリッパは必ず置くようになりました。
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    ペットの訓練も大切

    (30代・女性)
    猫を飼っていますので、猫のご飯やトイレシーツはいつも大量購入で、在庫を切らさないように備蓄しています。もし避難となった時にはペットはキャリーバッグへ入っていることが不可欠ですが、まだ慣れてくれず抵抗されるので、最近は洗濯ネット+スリングという形式で訓練中です。リードも付けられると避難場所でも便利かと思い試しましたが慣れてくれ、犬と同じように散歩を楽しむようになりました。
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    帰れないという体験

    (30代・女性)
    当時は電車通勤をしていましたが、当日は電車が運休になるということで帰宅できませんでした。他の社員は車通勤だったためひとりだけ帰れないところでしたが、会社の近所に住んでいる上司に泊めてもらえました。翌日電車は動きましたが、帰れないということもあることが分かったので、もしもの時の為に、社内には最低限の食料や日用品をロッカーに置くようになりました。
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    次は今かもしれない

    (60代・女性)
    3.11以降、いつ震災が起こるかわからない。いつ起こってもおかしくないと常に考えるようになり、入浴は短時間で効率良くを心掛け、トイレも我慢しないでちょこちょこ行くようになりました。保存水は定期的に買い替え、食べておいしかった非常食は家族分ストックしています。また、被災したらアウトドア用品が活躍すると思うので、少しずつ買い足しています。
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    ロウソク1本が頼り

    (20代・女性)
    10年前、私は中学生でした。その時はまだ知識もなくただ怖いという感情でした。食事も普通に食べられるだろうと思ってた矢先、停電になり電気が使えませんでした。家に唯一1本だけあったローソクを使って過ごしました。1本もなかったら身動きが取れなかったと思います。それを踏まえ今では、防災用品は常に家族が把握できる場所に備蓄しています。
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    積極的に参加する

    (50代・女性)
    津波という自然災害の恐ろしさを痛感。この震災を機に、学校や施設・地域が一体となり、防災マップ・避難行動マニュアルなどが見直されました。一昨年、地域の防災訓練に初めて参加しましたが、地域の方との顔合わせ、協力しての救助活動、備蓄している防災用品の紹介など 役立つ内容ばかりでした。こういう場に参加することで、個々の防災対策だけでなく、地域の一人としての防災意識も高まる気がしました。
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    高速道路の通行止め

    (50代・男性)
    3.11発災時、私は海老名SAで遅い昼食後、車内で休憩を取っていました、突然車体が大きく揺らされ、慌てて周囲を確認するとSAから避難する大勢の人や車のセキリュテイ警報音が駐車場内に鳴り響いていました。暫くすると東名高速が通行止めになったとの放送が流れパニックになりましたが、幸い秦野中井ICまで通行することができて本社へ戻って来られました。会社に戻ってTVで街が津波に飲み込まれる映像を見て、ようやくとんでもない事が起こっているんだと認識すると、激しい恐怖を覚えました。
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    住む場所も気をつける

    (30代・女性)
    震災から1年後、実家を出て一人暮らしを始めましたが、部屋を選ぶ際は一応ハザードマップを確認して、津波や土砂災害の危険区域から外れた地区である点も考慮しました。備蓄品も一か所に置くのはよくないと教わりましたので、玄関・窓の近く・車のトランクと、あちこちに持出品を置いて、もしどこかがふさがってもどこかからは持ち出しができるように置くようにしています。
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    エレベーターが止まった

    (30代・女性)
    震災当日はたまたま仕事が休みで、自宅にいた時に震災が起きました。マンションの7階だったため揺れが大きく、揺れが収まってから貴重品を持ってマンションを出て知り合いの店に避難しましたが、安全装置が作動してエレベーターと水道が停止してしまい、上り下りとお風呂に苦労しました。あれ以来、貴重品などはひとまとめにしてすぐに持ち出せるようにし、地震速報が出たら即お風呂に水を貯めるようにしています。
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    当たり前だった電気

    (40代・男性)
    当時私は仕事で、妻は生後5ケ月の息子とデパートで買い物をしていたそうです。今まで経験したことのない揺れに、とっさに息子に覆いかぶさって守ろうとしたという話を聞きました。その後、原子力の問題で計画停電で実施されました。普段何でもなく使っていた電力のありがたみを痛感しました。夜になると街中の電気も消え、外食や飲み会も控えるなど自粛モードで、日本にまったく元気がない時期が続きました。10年が経っても今だ復興できていない地域もあります。当時のことを覚えていない息子も現在は10歳になります。いろいろと考えられるようになった息子と東日本大震災の当時のこと、また東日本大震災の今後について話していきたいと思います。
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    防災キャンプで体験

    (40代・女性)
    自宅から海が見えるほど近くに住んでいるので、東日本大震災の被災地のニュースで津波の恐ろしさを改めて思い知りました。被災地のお母さん達はどれだけ不安だったか計り知れません。今は非常食もおいしい物が多く、家族で好みの味を選び備蓄しています。また、子供達と参加した“防災キャンプ”で体験した地震体験車や、テントの中の火災時の煙幕の中の避難体験は、震災後に生まれた子供達にとって非常に貴重な体験でした。
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    あの日のことを忘れない

    (30代・男性)
    海の方からあまり聞かないサイレンが常に鳴っていた事や、立つのがままならない程の地震が起きた事は10年経った今でも鮮明に覚えています。それからどこに避難するのか・何を備蓄したら良いのかを家族と話し合ったり考えたりする機会が増えたと思います。家族それぞれが必要な物を防災セットとして用意したり、車にも備蓄品を常備する様になりました。
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    大切な人に安全・安心を贈る

    (30代・女性)
    東日本大震災から10年。当時私は続く余震にびくつきながら新社会人になりました。この10年、被災した方の記事などに触れ、身近な人々を、何の前触れも、心の準備も無く失う悲しみに思いを巡らせて来たように思います。たまたま防災用品に日々触れる仕事に就きましたので、割合無頓着だった家族や、身近な友人に、日頃の備えを促したり贈ったり…。少しでも、心の備えになればと思っています。
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    次の地震のカウントダウン

    (50代・男性)
    東北大震災から10年が経った。この10年の間に熊本地震・北海道胆振東部地震などの大地震があり、現地で支援活動をさせて頂いた。現地に行くことができたことは、私にとって大きな糧となっている。今、すでに次に起こる地震のカウントダウンに入っている。一人でも多くの方に自助の大切さを伝え、ひとりでも多くの命を守りたい。そのことを日々考えさせられた10年だった。そしてこれから、10年の月日が経った現地へ再度視察へ向かう。